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日本の改革のためのインスティテューション・モデル:予算能力

予算は国家政策目標を達成するための重要なメカニズムであり、予算編成能力こそが健全な市場民主主義に必要なものといえる。国家統治能力は予算作成能力である。経済開発協力機構(Organization for Economic Cooperation and Development、OECD)は、「予算は国の経済や社会の優先性に影響を与えるひとつの最も重要な政策手段である。政策の目標が一致調和され具体的に考えられるのは予算プロセスにおいてである。予算編成においては、部分と全体との関係や税と支出のつながり、そして公共資源を競う要求間の優先付けといったことに留意しなければならない。(2002年OECD)。深い配慮のない予算においては、政府は需要(ニーズ)と資源(リソース)、資産、負債をうまく均衡させることは出来ない。

I. 日本が米国の財政政策の経験から学べるもの:政策議論

予算は国家政策目標を達成するための重要なメカニズムであり、予算編成能力こそが健全な市場民主主義に必要なものといえる。国家統治能力は予算作成能力である。経済開発協力機構(Organization for Economic Cooperation and Development、OECD)は、「予算は国の経済や社会の優先性に影響を与えるひとつの最も重要な政策手段である。政策の目標が一致調和され具体的に考えられるのは予算プロセスにおいてである。予算編成においては、部分と全体との関係や税と支出のつながり、そして公共資源を競う要求間の優先付けといったことに留意しなければならない。(2002年OECD)。深い配慮のない予算においては、政府は需要(ニーズ)と資源(リソース)、資産、負債をうまく均衡させることは出来ない。

1990年代後半に、米国は財政均衡を成し遂げた。これは近代の統治においてひとつの画期的な達成といえるだろう。一旦黒字となると財政コントロールは低下してしまったが、この間の経験から得られる教訓は他の国々にとっても検証の価値があるだろう。

成功のかなりの部分は、予算論議への(市民団体や議員を通じた)米国の人々(パブリック)の参加の結果である。米国の明瞭な教訓は、民主主義社会においては、多数(マジョリティー)の人々によって目標が広く共有されなければ、法(ルール)というものは役に立たないということである(2002年Penner)。一人の政治的指導者やひとつの政策が国家の予算問題を解決することは出来ない。合理的な議論を行い合意を形成するということは最大の挑戦である。米国の財政均衡にいたる長い道のりにおいて、数多くのシンクタンクや公的機関の働きによって政策議2論が促進されてきた。また、連邦政府のあらゆるレベルの機関もその政策議論において影響力のある参加者であった。広範なステークホルダーに予算編成へのインプットを提供させることこそが、民主主義には不可欠である。活発な政策議論の存在が米国の民主主義の最も強靭な部分である。それはしばしば非常に厳しい選択をしなければならないということを人々が理解するのを助けるのである。

現在日本が直面している問題は、より多くの情報を得て、活発な筋の通った議論をきかなければ、一般市民にとってまとまった理解をするにはあまりに大き過ぎ、また複雑過ぎる。現在おこなわれている政策議論はしばしば断片的、散発的で、人々が国家財政状況の全体像を把握し、また個別の政策案件を予算という概念のなかに位置づけることが出来難いものとなっている。

学者や政治家、あるいは官僚が数日程度で書き上げた政策のプロポーザルが長期的な解決策とならないことは明白である。日本の人々は現在国が抱えている巨額の財政赤字が問題であると認識し、予算の均衡を測ることは適切な長期の目標であることも理解しているが、どうしたらこの目標が達成できるのかについての情報は持ち合わせていない。もし日本が明らかに負債の返済不履行となるか、またはそれを高いインフレで解消しようとするなら、その影響は日本だけではなく世界経済に影響を与えるものとなる。

政策分析(ポリシーアナリシス): 市場民主主義における政策議論の核

理想的な政策議論は、政策立案者に多種多様の政策の選択肢(オプション)を与えるものである。政策の選択肢の長所と短所ははっきりと示されなければならない。政治家は各自のイデオロギーや経済にたいする各自の考え方に基づいて、ひとつの政策案を選択することになるだろう。イデオロギーというものは各自の嗜好によるが、経済がどう動き機能するかについての考え方は経済の科学に拠るべきであるだろう。ただし不幸にも、経済学も厳格な科学とは言い難く、経済の働きについての考え方はしばしばイデオロギーに左右される。つまりイデオロギーと科学の区別は容易につけられないものであるのだ。 これが、多くの個人や研究機関が役目を果たして、政策アイデアを競い合わせるということが必須であることの理由である。

政策分析過程

政策結果が政策アナリストのイデオロギーによって影響されることはしばしばあるが、これは政策分析(ポリシーアナリシス)がまったく科学的な厳密さに欠けているという事には必ずしもならない。政策アナリストが各自の意見を持つことは当然あってしかるべきだが、しかし彼らが独自の事実を作り上げることは出来ない。たとえば、ある特定の税金が労働努力に与える影響といったことには、かなり大きな不確実性があり、そして見るべき推計値3には大きな幅がある。政策アナリストはこうした幅から外れることは出来ないし、なおかつよい評判を維持していかなければならない。

政策分析はもし連邦政府内でのみ行われたとしたら、繁栄することも公共政策に影響を与えることも出来ない。1960年代後半、米国のいくつかの主要な大学で公共部門(パブリック・セクター)で働くことを希望する学生のための教育プログラムが設置された。大学院レベルで公共政策と公共運営マネージメントに関わるプログラムが、ミシガン大学(1967年)、ハーバード大学のケネディ・スクール(1968年)、カリフォルニア大学バークレーの公共政策大学院(1969年)、カーネギーメロン大学の都市公共政策科(the School of Urban and Public Affairs)(1969年)、ランド大学院(1969年)などに作られた。

共和国としての始まり以来、多くの米国の知識人は学界と政府との間を行き来しつつ政策作成に一定の役割を果たしてきたが、1960年代までは政策分析が明瞭な知的領域として急速に発展するにはいたらなかった。

「連邦政府の歳出をよりよくコントロールしようとする試みと、そしてそれによって使われるドル(金)から最大限可能な効果を得ようとする試みの手法として、予算局(Bureau of the Budget)は『プログラム計画予算(PPBS:Program Planning and Budgeting )』と呼ばれるシステムを育成し、そして後にそれを全政府機関に義務づけた。このPPBSは支出の必要な事業プログラムの費用対便益について、複数年度にわたる費用の予測をつけた、深く精細な分析によるものとされた。こうした経済学的、数学的、そしてそのもとの統計的技術に沿った、分析的枠組みはケネディー政権時代に、ロバート・マクナマラ国防長官によって採用された「ベスト・アンド・ブライテスト」たちによって国防総省に持ち込まれたものである。」(1998年 Fleishman)

公共政策問題を解決するための分析的技術の応用は、ランド・コーポレーションの国防戦略研究において開発されたものだが、これは公共機関を運営管理する新たな方法を提供した。「分析的研究の枠組みというものが、主要連邦省庁においてPPBS/政策分析/計画/評価の確立の根拠・基盤となった(1998年 Fleishman)のである。PPBSは、適切に必要とされる分析の数より以上の分析を試み、数珠繋ぎの命令体系の元で稼動することによって官僚化されたことで究極的に失敗に終わってしまったとはいえ、厳密な分析というものが国防調達や住宅補助にいたるまでの多様な政策選択肢に情報をあたえることが出来ることを明らかにした。

1960年代後半に相次いで公共政策系大学院が設立されたことに伴って、公共政策分析は政策議論と政策立案への貢献者としての地位を確立した。

政策分析のどのような達成業績に負けず劣らず重要なことは、政策分析が公共的な問題についての議論を民主化することで成し遂げた違いである。アロン・ウィダルスキーが明らかにしたように、米国憲法修正第1条の保障する表現の自由が総体として民主主義であるのと同様、政策分析は公共政策であるといえる。共通の理と事象の枠組みにおいてのルールと言語を知り、かつそれらを大切にする個人からなる、政策分析を基盤とする集団グループが、行政府の中にも議会にも、利益団体の中にも、大学やシンクタンクのコミュニティの中、そしてジャーナリズムの世界においても繁栄したことによって、政策分析は、真実、公共議論のための共通基盤をつくったのである。どんな機構制度というものが、社会に対してこれほどの貢献をなし得ただろうか。(1988年 Fleishman)

米国の政策産業と市場

米国では強固な政策分析及び評価産業が作り出されている。米国の市場民主主義は、政策分析の生産物をオープンな市場で競争するものとした。過去10年にわたった財政均衡の達成は、米国の統治(ガバナンス)において、まれに見る成功といえるが、この成功はこの市場システムとその生産物によるものといえる。政策分析は、以下の図のように、生産物と商品のごとく、生産され、分配される。政策分析は、真の公共財(パブリック・グッズ)であり、そこにおいては費用を出そうが出すまいが、だれもが便益を享受する。政府内部も政府外もいずれもの多くの研究機関は、分析し、評価し、そして政策代替案の提案する。これらに対する政策立案者や政治家、メディア、そして一般市民からの需要が存在するのである。

政策分析と評価活動は、独立、非営利のシンクタンク、営利のリサーチ会社、大学、研究機関、団体や協会といった非政府系の研究機関を含む産業を誕生させることになった。

政策研究の生産は、しかし少数の大きな研究機関で集中して行われている。1000から2000もの機関が政策評価を行っているが、しかし資金の大部分は大きな機関、例えば,アプト・アソシエーツ、ランド・コーポレーション、マセマティカ、バトル・メモリアル・インスティテューション、 アーバン・インスティテュート、リサーチ・トライアングル・インスティテユート、アメリカン・インスティテュート・フォー・リサーチといったところに獲得されている。

政策評価プロジェクトは、典型的には問題となる、政策事業プログラムを管轄する責任を持つ公共機関によって資金が提供される。しかしまた、政策評価プロジェクトは財団やロビーイストによって資金を得ることもある。国家レベルでは、連邦政府が評価の主要な資金源でありつづけている。議会はしばしば法案決定にあたって評価を義務として盛り込むことがあり、時には省庁にリサーチを指示することもある。連邦政府の政策評価は、一般に、5前述したような大きな研究機関に限らず契約として資金提供される。政策評価研究に対して資金提供を行っている主な連邦省庁は、教育省、労働省、農務省、保健福祉省、住宅都市開発省、国防総省、環境保護庁、会計検査院などである。

前述のように、民間財団などのフィランソロピー団体は巨額の資金を研究にまわしている。フォード財団やメロン財団、そしてロックフェラー財団(2、3の名前を挙げるとすれば)歴史的に独立的政策研究を支援してきた。こうした民間の資金が公共目的に使われるのもまた、米国資本主義のユニークな特徴である。

政策産業には多種多様な才能が雇用されている。すなわち、政策アナリスト、社会科学系の博士号取得者、エコノミスト、元官僚、元政治家、学者、法律家弁護士、研究者、統計家、コンピューター・スペシャリスト、会計士、政策広報の専門家、研究起業家、研究マネジメント・スペシャリストといった人々である。これらの熟練専門家・プロフェッショナルの、政府と民間セクターの間での流動性は政策産業をより強力で魅力的なものにしている。政策分析および政策決定における生産性や競合性が高まれば、政策産業での政策議論の質が高まる。米国特有の民主主義は、公共セクターをあらゆる市民にとってのビジネス(1998年Gorham)とみていることである。結果として、政策産業は公共セクターと政府を強化している。

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日本の改革のためのインスティテューション・モデル:予算能力[PDF]
Ueno, Makiko・R. Penner, Dr. of Engineering 上野真城子・ルドルフ・ペナー

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更新日: 2014/09/12 -06:23 PM