Alice Rivlin が5月に亡くなった。パブリック・パーソン、その言論とアクションにおいて、多大な足跡を残した優れた、政策アナリストを体現したひとであった。
その根本にあるのは、何よりも市民であり、母であるという感性と自信であると思う。
私は1997年に彼女の講演を聞いたときから、最も尊敬する人生の先達として彼女に学んできた。(リブリンと政策アナリシス、政策アナリストについては、下記を参照されたい。日本の予算議論と政策決定に欠けるもの。
http://www.ucrca.org/show_archive/what_is_missing_in_japanese_budget_policy_debates, (2012)
私が最初に彼女に出逢ったのは1997年のAPPAM(公共政策分析経営学会)の総会での彼女の講演「政策の成功」を聞いたときからである。彼女は、当時の政策アナリシスがいわば成功の原動力となったことをたたえながら、しかし政策アナリストに謙虚な姿勢を促した。そして言い添えた。
「家庭で、子供たちにお菓子を分け与えるときに、もらった子供は、きっと、こんなの不公平だよ、と親に文句を言うに違いありません。(著者注:これはアメリカの家庭では常に交わされる会話である。)
親は、その時、子供に、それはなぜ公平なのかを説明し、説得しなければなりません。これからのアナリストたちは、人々や、政策決定者たちに、この政策がなぜ公正といえるのかを、今までにも増して、頻繁に明瞭に説明できなければならないのです。」
リブリンの逸話のひとつに、彼女の仕事にとって、最も適切な訓練は、「母親であること」と言われたということですが、それはよくわかるように思えます。60年代、政府内に採用されそして放棄されたPPBSについても、彼女は、これはコモンセンス、常識であり良識、分別というものだといったといわれる。彼女は、鋭利な頭脳と、それでいて控えめな、知性ある、研究者であったのだと思う。
私はこの時に、自分はアーバン・インスティテュートで働いていて、日本にシンクタンクを作ろうとしていると話した。彼女はそのことを知っていた。
3年ほど前、ブルッキングス研究所の近くの街角で、ランチからオフィスに戻る彼女に出逢った。信号待ちの数分に、思い切って声をかけた。彼女は、すぐに以前のことを覚えていて、「日本は政策アナリシスが必要です、最初にね。」と言われた。再度のコメントだった。
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更新日: 2019/07/08 -04:48 PM