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COVID-19の感染拡大:数値から見る展開


中国で始まった感染は、3月から、欧米で大規模なパンデミック、疫病を引き起こした。私たちのような、日本の高齢者は、戦争の記憶はあっても、感染症ということにほとんど経験も記憶もない、馴染みのない国民が大半を占めている。海外援助に従事する人は、感染症の予防薬を携帯するが、一般には、感染症ということの重みを理解するのには、しばらく時間がかかった。しかし次第に、増える情報と、インターネットによって、3月以降、世界中のひとびとが、感染者数と死者数の数値にくぎ付けされることになった。これが、新型コロナウィルス感染症第一波の衝撃である。私は、個人として、米国と、日本と、モンゴルの感染症動向に関心があった。

中国で始まった感染は、3月から、欧米で大規模なパンデミック、疫病を引き起こした。私たちのような、日本の高齢者は、戦争の記憶はあっても、感染症ということにほとんど経験も記憶もない、馴染みのない国民が大半を占めている。海外援助に従事する人は、感染症の予防薬を携帯するが、一般には、感染症ということの重みを理解するのには、しばらく時間がかかった。しかし次第に、増える情報と、インターネットによって、3月以降、世界中のひとびとが、感染者数と死者数の数値にくぎ付けされることになった。これが、新型コロナウィルス感染症第一波の衝撃である。私は、個人として、米国と、日本と、モンゴルの感染症動向に関心があった。

5月9日COVID-19 の全世界の感染者数 393万9348人、死者数27万4932人
米国 COVID-19の感染者数 128万3928人  死者数7万7180 人 
                      (05/09/20 Johns Hopkins, CSSE)
6月28日 COVID-19の全世界の感染者数 1000万6980人5 死者数49万9307人
      米国の感染者数 251万337人 死者数 12万5538人
       日本の感染者数 1万8366人 死者数 972人
       モンゴルの感染者数 219人 死者数 0人
                      (06/28/20, Johns Hopkins, CSSE)
7月2日 COVID-19の全世界の感染者数 1069 万4,288人 死者数51万6,210人
       米国の感染者数 268万6,480人 死者数 12万8,062人
       日本の感染者数 1万8,838人 死者数 976人
       モンゴルの感染者数 220人  死者数 0人
                      (07/01/20, Johns Hopkins, CSSE)
しかし、数値のゲームをみるような、感染症への感覚はよくない、そこからは、生産的な思考は生まれない。数値のひとつひとつは、人の命がかかわっている、ウィルスという不合理なものに、理由なく殺されたという、無念、不本意さを負っているだろう。ウィルスに打ち勝った人、病を通り抜けた人、抜けられなかった人、そのどれにもなる可能性が、私自身にあることを受け止めること、そして幸運にも今日は生きられたことを感謝し、残された日々があるとして、自分は何ができるのか、できることと、出来ないことを、探し始める。これは多分、多くの人々の、4月、5月、6月であったのではないだろうか。

モンゴルはなぜ死者ゼロであるのだろうか。
特記すべきは、モンゴルのことだ。モンゴルは、感染者数、死者数ともに、少なく、ことに、死者数は今もってゼロである(7月1日現在)。初動が早かったと言われるが、これは中国との強いつながりのある国としてみれば、注意深く見る価値がある。
モンゴルのCOVID-19の対応に関してまだ、科学的分析は入手できない。しかしある観察によれば、いくつかの興味深いプロセスをたどることが出来る。もちろんモンゴルは日本の4倍の国土に、280万人が住んでいる。人口密度は世界で最も低い。多くが遊牧の民である。そうみれば、疫病の蔓延はなくてもおかしくないように思われる。社会的な距離が自然に取れるからだろうとか、はるかに遠隔の地だからとか、気候が寒く厳しいからだろうとか、貧しいからだろう等々。確かに、みな、一面、正しいが、しかし、それらが感染症の蔓延を防いだ理由の証明にはならない。例えば、人口の半分が居住する中心都市ウランバートルの主要居住地は集合住宅が立ち並び、また家族縁者が一つ屋根(ゲルの中)に十人以上も密住するゲル地区は、正確な人口の把握もできないが、一概に密度が低いとはいえない。また欧米から見て遠隔地として認識されるが、実際は、中国、ロシア、中央アジア諸国との飛行、汽車、車による、人間とものの移動と交易は頻繁であり、世界とのつながりは日本よりははるかに密である。UBのスマートフォンの普及の高さもさることながら、UBの一般家庭のメディアへの接続は、国内外52局選べる(2006年時点)ほど、ある意味で国際的であり、中欧、ロシア、中国への留学生も多い。
にもかかわらず、感染症においての敷衍の低さはどう説明できるか。
ひとつの見方は、モンゴルのリーダーシップによるという。2019年末の中国武漢でのCOVID-19の発症をとらえ、湖北省での展開を見て、モンゴルは、この感染症は、モンゴルに必ず来るものとして、中国とWHOに連携しつつ、すぐに国境の出入国制限、社会的距離ソーシャルディスタンシングの実施、医療品の確保などを行った。「1月」にである。
湖北省の3日後、モンゴルの内閣は特別会議を開いた。会議において、大学の閉鎖、車両の横断通過制限(鉄道と航空は除く)、パブリックの行事の禁止、医療の機器と医療人員のための資金を決めた。
モンゴルの成長はほとんど完全に輸出依存によるものであったから、この制限は膨大な経済的打撃を意味した。それもケースがゼロにおいてである。しかし、彼らは西洋の恐竜のように、惑星をみながら、「でも、経済だ」とは言わなかった。
モンゴルは、ウィルスと交渉したわけではない。彼らの経済は叩かれたが、避けがたいことだった。彼らは出来る限り経済を救いつつ、ウィルスと闘かった。
これは公衆衛生の教科書といえる。この危機の過程を通じて、モンゴルは常に、なすべきと思われること以上に、過剰反応しているように見えた。だが、それはウィルスとの唯一の戦い方なのである。Dr. Xifeng Wu が言うように、
「過剰反応は、なにも反応しないよりはすぐれている。」
どうしてモンゴルは、ゼロケースであるのだろうか。彼らは、まるで、すでに1千のケースがあるがごとく動いた。まだ、1月においてである。
この時点、ゼロケースにおいて、モンゴルは実際、ケースを、意図的に輸入した。ゆっくりと、コントロールしつつ、慎重に、海外に出ていたモンゴル人を本国へ戻し始めた。注意深く、テストし、入国時には、隔離した。
1月末には武漢から31人の学生を帰国させるべく動いた。2月1日に、彼らは帰国し、フライトに関わる人間を含めて、隔離された。この帰国、隔離は、最初は14日間、のちに21日間である。アリとキリギルスのごとく、冬に向けての準備をした。

2月中、モンゴルはマスク、テストキット、PPE (防護服)の購入、病院、食料市場を調べ、 そして、市内を清掃した。慣例の新年の祝賀も中止した。3月までゼロケースにも関わらず。
2月に、モンゴルは、韓国と日本へのフライトを一時停止とした。
そして、余裕をもって、中国への援助を始め、まず30,000頭の羊を贈った。(羊を贈るのは、モンゴルの民の友愛の徴である。) 大統領はこの援助の旅行から帰ったとき、自ら14日間の自己隔離をした。Boris Johnson がCOVID-19の患者と握手していたとき、モンゴルの大統領は自己隔離し、国には、テストキットと防護服が十分に準備されていた。
そして3月10日にモンゴルは最初の感染ケースを確認した。モスクワから3月2日に戻ったフランス国籍の人であった。彼らは彼のオフィスを閉ざし、その地域を隔離し、すべての汽車、車、公共交通を止めた。モンゴルはいわば、部分的な都市封鎖となり、一連の商店店舗も閉ざされた。彼らは920万平米、6000ヶ所を浄化した。場所によっては2回浄化した。これが一つの感染ケースに対しての対応である。
モンゴルは健康医療において、猛烈になる。ゼロケースにおいて、まるで、千ケース出たごとく、ケースがひとつ出れば、まるで1万ケースあるがごとくである。ウィルスが幾何級数的に増加するとするならば、これはやらなければならないことであるのだ。もしウィルスに勝ちたいならば、あなたが、ウィルスに取りつくか、ウィルスに取りつかれるかなのだから。
もう一点、モンゴル人の早い時期からの、法的な順守の意識の高さである。多くの理由において、モンゴル人はお互いに責任を持ち、何が起こっているかを理解し、そして対応を実際に示すのである。
5月7日、その時点でもゼロ・ケースであるが、その中で、封鎖の模擬練習が実施され、15万人の市民と、3,500人の公務員が参加した。封鎖の必要はないが、準備しておきたいのである。
現在、モンゴルは140ケースが出ている。すべて、外部から入ってきたものである。内部での伝染はみられない。ロシアからの第2波の脅威があり、経済は痛んでいる。もともと貧しい国である。しかし、モンゴルにはリーダーシップがある。モンゴルのグローバルなリーダーシップに学べることがあるだろう。(補:7月1日時点では感染者数220人、死者ゼロである。)
(Indi Samarajiva, May 18, COVID Underdogs: Mongolia, https://medium.com/@indica/covid-underdogs-monngolia-3b0c162427c2 より抄訳)

米国の混迷する民主主義
一方で、米国の感染者数と死者数の多さである。アメリカ東海岸、西海岸、ミドル、サウスの多くの州が、今急激なコロナ患者の増加を示している。しかし、今後は、アメリカ自身の国内問題としてのコロナ感染症の問題から、中南米とアフリカにおけるCOVID-19 の拡散拡大は明らかで、多分歴史上はじめて、感染症が、真にグローバルな課題となってくるということである。貧困と格差の厳しい、医療体制が十分でない多くの途上国で、弱者、こどもの命が、どこまで守れるだろうか。グローバルな市民社会に生きる私たちに、できることは何か。
―――ひとつの国が文明国であるかどうかの尺度は、高層ビルや、車の多さや、強力な武器や軍隊や科学技術の発達や、卓越した芸術や、派手な会議や、絢爛たる花火や世界各地で豪遊する旅行客の数ではない。唯一の尺度は、弱者にどう接するか、その態度だ。(方方、作家、「武漢日記」より)


そしてアメリカ社会の問題である。本来ならば、混迷の世界に、リーダーシップをとれるはずであった、アメリカは、国内的にもグローバルにも、この世界的健康医療問題に、その力を発揮する意志も力も持たない。その中で、5月25日、米国ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警官の暴力行為によって「息が出来ない、息が出来ない」とあえぎつつ、死んだ(殺された)。これはいわば、アメリカ社会の現実をあばく事変であった。これをきっかけとして6月2日以降、140都市に抗議デモと暴動が拡大した。
この引き金は、トランプ大統領によって、引かれたことといえる。就任以来一貫して、人種差別的言動と白人至上主義、「アメリカ・ファースト」を掲げた大統領は、共和党の強固な支持に支えられて、社会分断化を促進した。彼は実は、民主主義も「気にしない」、分断化も「恐れない」大統領として、恥じることない、アメリカではまれな政治家であるのだ。彼の関心は、自己の利益と次の選挙での勝敗にある。私たちは、アメリカに暮らすアジア系アメリカ人、マイノリティーとして、トランプ就任後の社会の「空気」の変化を、日常的に感じて来た。身の安全のためには、究極的には、アメリカから出た方が良いという意識は深まっている。独裁から逃れるためには、二つのパスポートを持てという教訓がわかる。
 コロナ後があるとしたら、それは明らかに異なる世界であると思われる。何が、どのように、直近に、中期、長期に、私たちの日常を、そして社会を、変えていくのだろうか。
UCRCAは、「コロナが切り開いた」新しい世界に、新たなミッションをかかげて、再出発するつもりである。

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更新日: 2020/07/06 -02:55 PM