米国の政策産業は政策研究・政策分析・政策評価という、政策形成能力の根源を作る、「知」の産業を代表するものである。この興隆と繁栄は、米国の取り組むべき課題とその解決に、より有効に機能する政策を生み出し、米国のデモクラシーの過程を強靭なものとすることに役立った。米国の政策産業の展開と現在を概観することから、日本の政策形成力の強化と政策産業の育成と成長への示唆を得る。
政策研究・分析・評価は、国の政策形成力、政策形成キャパシティーの根幹をなすものである。米国においては、この政策形成力を、民主主義社会において必須のものとして、産業が成長してきたとみることが出来る。この政策産業と市場に従事する研究者は政策産業をなす政策研究評価機関である独立シンクタンクに雇用の場を得る政策アナリストという知識集団として、「知」を「治」につなげる重要な役割を果たしてきた。この産業の振興の契機と展開は今後の日本の政策産業の成長にとって学べるものがある。
米国の政策分析と評価が政府内の主要な政策形成のツールとなったのは、1960年代初頭の国防省によるPPBSの導入によるところが大きいが、その批判の上で、国内政策に適応されたのは、1966年に健康教育福祉省(HEW現HHS)に出来た計画評価局(Assistant Secretary for Planning and Evaluation: ASPE)の設立に重要な起点がある。1960年代後半は、ジョンソン政権下の膨大な社会福祉政策「偉大な社会」プログラムが実施される。
しかしこのまれにみる福祉政策は、ベトナム戦争の一方で、同時に不公正、不平等への認識の高まりと差別への公憤を伴って、暗殺と都市暴動を巻き起こすことになる。ここで福祉と市場経済の葛藤において、国家予算の公平な公正な分配とは何かという政策評価の規範の模索が始まる。
初代次官補William Gorhamは政策アナリストを政府内外から部局に入れ、プログラムの評価と分析を行ったが、極めて意義深いこととなったのは、省の事業の予算要求の中に、評価のための資金費用を含めるというコンセプトを造ったことである。すなわち新事業のために予算計上された事業費の1パーセントは省全体としてまとめて保留され、これは省長官の自由裁量において、政策研究と評価に使うことという、1%政策評価保留条項が作られた。
Gohram の省での認識においては、多くの社会政策プログラムは学者の頭脳からないしは限られた、評価なしの、実験事業から始められたものが多く、既存の、また現行の膨大な事業プログラムから学び、構築すべき経験と利益があるにもかかわらず、それを引き出す評価分析がなされていないことであった。彼が就任後行った省内での調査において、どのように、なぜ、その事業が社会の問題解決に寄与しているのかを図る、計測するというコンセプトを持っている担当官はほとんどいないということがわかった。すなわち行政の事業プログラムに関わるデータがあるとすれば、事業を受け負う企業について、誰が金を受け取ったか、その金は会計上適切に使われたか、時として、どのくらいの人が参加したか、と言ったことについてであった。
これらの情報が定期的に集められたとしても、これらのデータが、事業プログラムの成否を検証するということには使われていなかった。1%政策評価保留条項は、事業の有用性、有効性を検証する「評価」と研究に用いられるべきとして挿入されたのである。
この時点で、Gorham はこの条項が米国の評価産業を振興させるものと思ってはいなかったが、この条項によって、政策研究プロジェクトが省庁から出されることを確信して、Urban Instituteをつくる。
1960年代の終わりまでには、根源的な社会問題の解決には、より深い理解と研究が必要であり、より多くの資金がより賢い政策を目指す知的資源の開発に投資されなければならないという認識が高まった。ASPEに始まったこの1%政策評価保留は他省庁に波及し、この時代の要請にこたえるものとして、歴史的意義を持つものとなったのである。
1 パーセント政策評価保留は 1970 年代以降米国の政策産業、公共財としての政策を、 研究し、分析し、予測し、評価する、知識情報産業の発展と繁栄をもたらした。これ を産業と市場の構成として示したものが図 1.である。ここではプログラム評価を中心 として、政策予測、分析、評価を行っている、政府内の組織機構、政府外の、非政府、 民間非営利、営利組織(シンクタンク、大学等)を上げている。この産業と市場は、 政府の研究評価資金によるものと、フィランソロピーと総称される、個人、企業、財 団等の資金によって支えられている。
1%政策評価保留をその資金の 1 部を構築したものとして鳥瞰するのが図 2.の政策産 業創出のメカニズム:事業費の 1%の評価保留資金による政策情報と政策人材の輩出で ある。ミクロの公共政策プログラムから政策研究プロジェクトが立てられ、いわば「公 共事業」として、政府外の組織機構にプロジェクトが契約発注され、政策研究・予測・ 分析・評価という成果(生産物)が生み出された。1970 年会計年度の HEW の評価資 金は$17 million であったが、その 45%は営利政策研究組織、29%が非営利組織、21% が大学、4%が州と連邦政府機関に提供された(Abert, 1979)
こうした評価研究は、プログラムの改善、改良、廃止等の、政治決定の基礎データ となり、また市民の政策判断の基盤となる情報を提供することになったのである。
1%政策評価保留資金は具体的にはどのような評価研究プロジェクトとして発注され たかを Urban Institute の例でみてみたい。表 1.は筆者が研究に従事していた 1990 年代 から 2000 年代初頭にかけての政策分析評価研究の事例である。この時代は豊かな政策 研究資金により政策研究と分析評価の黄金時代ともいえる。実際にこの政策分析が、 1900 年代最後の国家財政の健全化に大きな役割を果たした。政策の成功と、政策分析 がその実績を誇ったときである。この時代の政策研究プロジェクトは、資金額の大き さ、数年度にわたる研究体制、そしてその研究が政策の改善にフィードバックされ政 策の強靭さが作られ、産業への社会的信頼を生み出した。現在では政府による大きな 政策研究は減少し、業績評価のような継続的モニタリングが主流になっている。
ではこの産業の規模はどの程度のものであるかを考えてみたい。しかしこの規模の 測定の基準はない。ひとつの判断材料として図 1.の非営利独立シンクタンクの年間収 支から見てみよう。表 2.はシンクタンク研究を続けている、Hans Gutbrod による、 米国のトップ 20 シンクタンク分析から作成したものである。
これらは年間収支規模、スタッフの数、また政策形成および政治決定の影響力にお いて政策産業を代表するといえるものであり、Gutbrod はこれらが産業の 8 割を占め ると考えられるとしている。すなわち営利シンクタンクと大学など高等研究機関を除 いて、政策産業は、$1,000 million, 雇用者 7,000 人を含む市場といえる。決して大きい とはいえないが、情報知識産業の核心として、民主主義制度の根幹の政策をつくる産 業として、かつ高学歴を有する、政策研究人材の雇用の場としての意味は、この産業 への投資は極めて価値があったといえる。
政策産業の繁栄は、政策研究・分析・評価が、政策の強化向上につながるというシ ンクタンクと研究機関の地道な研究努力による。それは政策を、より科学的、客観的、 事実に裏打ちされた評価と分析を、手法の開発とともに積み重ねてきたことである。 それは純粋学問とは異なって、社会問題の解決に社会科学を適用する、合理性と目的 性を持つものであり、それは民主主義の主体である市民を説得しうるものでなければ ならない。
公共政策研究者にとっての重要な継続的課題は、長期にわたる問題を常に取組み、必要な時にその課題に対する研究分析を提起できることである。教育、社会保障と医療制度、税制、貧困、犯罪正義、移民といった、国内政策の常なる課題は、一つのシンクタンクがカバーできるものではないが、それらのどれかに継続的に取り組んでいるのが、米国のシンクタンクである。
UI では特に、データと情報を得、それらを有効に用いる、分析技術ツールの開発を 行っている。それらのツール:モデルによって、より適切な推測予測と、政策の費用 コストの算定が可能となり、同じゴールにいたる、他の道筋、代替案の比較検討が可 能となるのである。このモデルは常に検証され、公開されている。現在多くのミクロ 経済分析に用いられるモデルは長年 UI が研究開発してきたものである。シンクタンク は、その独立性、非党派性、UI でいえば、厳密な分析能力をともなった政策研究に徹 することで、信頼性を確保してきた。こうした努力が政策産業の繁栄を支えたのであ る。
日本の政策評価法は政策の執行組織の強化にとって重要な一歩であるといえるが、 政策を強化し、社会の政策能力を高めるためには限界がある。とくに、政策評価を行 政組織内部の活動とするのは、行政組織自体にとっても実りある成果を期待できない。 また外部に委託契約する政策評価研究への資金が準備されていないことは、政策評価 産業を政府外に育成する契機をつくることが出来ない。
1%政策評価保留は、政策研究・分析・評価プロジェクトを政府外に発注する資金の 流れを作り、政府外に政策研究・分析・評価の能力、政策キャパシティーを育てる政 策産業を生み出した。この産業の雇用する研究者の豊かさは、米国社会の知的活力の 根源となっている。このいわば公共投資は、結果的に政策の効率と費用効果を高める ことに役立った。この経験に鑑みて、日本でも 1%政策評価保留資金条項を作り、政策 評価を産業の育成・振興の契機とすることを望みたい。
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更新日: 2013/12/19 -01:49 AM