上野研究室は2006年に初めてモンゴルでの研修旅行を行ってから、’07、’08、‘09、‘10年、そして本年、’11年、と6年に亘って研修を続けてきました。さらに加えて、2010年、11年2回続けて、関学三田キャンパスで、研修の成果を報告し、両国の交流を促進する、モンゴリア・ウィークを開催しました。当報告書は参加学生による2011年度の研修報告です。私は2013年3月をもって関学から定年退職となりますので、実質的には3回生の研修旅行としては2011年が最後となり、報告書もひとまずこれが最終版となります。その意味で、出来上がったものを見てひとしおの思いがありますが、身びいきと言われようとも、良き報告書であると誇らしく思います。これまでの報告書と合わせて、ぜひ多くの方に見ていただきたいと願います。
上野研究室は2006年に初めてモンゴルでの研修旅行を行ってから、’07、’08、‘09、‘10年、そして本年、’11年、と6年に亘って研修を続けてきました。さらに加えて、2010年、11年2回続けて、関学三田キャンパスで、研修の成果を報告し、両国の交流を促進する、モンゴリア・ウィークを開催しました。当報告書は参加学生による2011年度の研修報告です。私は2013年3月をもって関学から定年退職となりますので、実質的には3回生の研修旅行としては2011年が最後となり、報告書もひとまずこれが最終版となります。その意味で、出来上がったものを見てひとしおの思いがありますが、身びいきと言われようとも、良き報告書であると誇らしく思います。これまでの報告書と合わせて、ぜひ多くの方に見ていただきたいと願います
モンゴル研修は私の関学就任の第1年目2005年には間に合いませんでしたが、以後、当ゼミ活動の中核をなすものとなってきました。なぜモンゴル研修かについては、これまでも各年の報告書に繰り返し述べてきましたが、私のゼミ生の教育の信念、すなわち、ゼミ生諸君を、生涯学び考え、行動する人間、「地球儀をこころに」、関学のモットーである「地球市民」になってもらうことにあります。その育成が、私の中長期の達成目標・アウトカムです。これは初年度から変わりません。そのための良き手法のひとつが研修旅行であると考えてきました。
私は大学卒業後四十余年―今や67歳(!)ですが―、横道や回り道をしつつ、そのときそのときどう生きるか生きたいか、何が自分に出来るのか、何を自分に課すのか、学び続け、考え続けてきました。
関学に来た2005年以前の20年ほどは、主に米国ワシントンのシンクタンクで「政策研究」に従事しました。厳しい米国での研究生活のなかで、私は「市民社会」「デモクラシー」「政策」という、人生をかけて希求する価値のある課題と出遭いました。今、私がこの年齢をもって、大学教育の場で出来ること、果たせる責任の一つは、若いあなた方、学生が、人生に追求すべき、生涯の学びの課題を発見するのを助ける、そうした機会を揃えることであると思います。
その機会として、出来るならば学生は大学卒業までに、一度でも外の社会を見、学んでくることが大事だと思います。日本以外の国、外の世界を知ることによって、よさも悪さも、強さも弱さも含めて、私たち自身と日本自身を知ることができます。留学生を受けいれるのもこの点での関与をしてくれるからです。そして私たちにとって価値あるものと、他の国や人々にとって価値あるものは違うということ、異なる価値があり、そして異なっていいこと、違いの中から違いを超えて互いに得るものがあり、国境を超えて、新たなよりよき価値の形成ができるということを学んでほしいのです。今や、多くの学生が、とても自由に海外に出るチャンスには恵まれていますが、出来ればゼミとしてある一定のところにフィールド、実習の場をもって、継続的に一緒に研修したいというのが、私の考えでした。
なぜそれではモンゴルか、なのですが、実は1996年から1999年までの丸4年間、私の夫は世界銀行を離れ、JICA派遣の専門家としてモンゴル国財務省のアドバイザーとしてウランバートルに赴任していました。その間私は娘を連れてワシントンから毎年1,2回、夫の赴任地へ地球半周を飛びました。それがモンゴルを知り、そして素晴らしい友人を得るきっかけとなったのです。人生は面白いもので、関学に来てすぐに「人と時と志(思い)」が編みなおされて繋がって、みんなをモンゴルに連れて行けることになったのです。正直のところ私の体力とエネルギーからみて、新しいフィールドの開拓は無理があったのです。
丁度2006年ごろ、民主化と市場経済化17年ほどを経て、モンゴルは中央アジア移行国のなかでは優等生でマクロ経済的には成功モデルといわれていました。この成功は日本の支援も含めた世界の支援がよく機能した成果と考えられます。しかしその一方で、ここ数年では、モンゴルの様相、特に経済は大きく激動し変化しています。鉱物資源に依存する資源立国は、これから数年GDP年率20%という驚異的成長を遂げると予測されます。このことにより、モンゴルは忘れられていたジンギスカン伝説の国から、世界が注目する、成長国として浮かび上がってきたのです。ですからモンゴルは一般的な概念からいうところの、東アジアに見られる、貧困の中にある、途上国とは言えません。しかし近代化民主化の途上にある、様々な課題を抱えた国であることは確かです。中でも、汚職を含めた政治・社会的問題、激化する所得格差、間に合わない都市住宅インフラ整備、公害と健康医療問題、自然環境破壊の問題は日々深刻さを増しています。いわばモンゴルは、ゼミが取り組んだ7年前より、極めて希有な対象国になってきたと言えるかもしれません。
モンゴル研修では、1年目でおおまかなモンゴルの状況、ウランバートルの状況を把握しました。そしてことに都市政策関連ゼミとして、途上国の都市住宅問題が喫緊の取り組むべき問題であることを認識したのが2006年度の成果でした。
この問題解決のためにミクロで有効なことが何かを探ってみようと思ったのが2007年の研修活動と調査の焦点でした。援助に関わるさまざまな機関と責任者の方々からの講義を受けました。都市問題と住宅問題の基本を都市居住の原点、:コミュニティーに置くことが非常に重要であることが、開発理論からでなく、踏査を通じて見えてきました。
2008年度には、日本のJICAによる都市マスタープラン研究を知り、その中でことにモンゴル科学技術大学のPurev-Erdene先生のゲル地区改良の提案と活動に出会い、これへの貢献を考えた調査を行いました。この関係を土台に2009年度の調査は、コミュニティーの現状と問題を、子供たち、小中高学生のGISを使った生活圏調査から探ってみることとしました。これは今後のすべての援助及び社会改革のカギとなる、コミュニティー・ビルディングということ、すなわちコミュニティー形成と内発的開発、住民による、住民のための、住民の計画と参加、プロセス、過程をつくりだしていくことが最も大事な行為であるという理念に立ち、私たちが出来る、働きかけの一つとしての調査でした。
2010年3月には限られた関係者のみでしたが、各年夏の中間となる冬季調査を行いました。零下25度Cのウランバーを訪ね、冬季の都市問題を実感することになましたが、このときに9月調査のためのカウンターパートを作り、加えて、ゲルを購入しました!
この経過を経て行われたのが2010年の研修旅行です。2010年はこれまでの蓄積の上に立って、大きな飛躍をしました。それはこれまでの学びと研修から、私たちの出来る働きかけ、小さくもひとつの行動を起こして、持続性につながる「機構」をつくり出したことにあります。
2008年より2010年の3年間、文部省科学研究費「途上国の住宅基盤整備制度構築の研究:モンゴルの都市ゲル地区を事例として」を得ました。これは住宅政策を基軸として、住宅基礎情報を整備するための機構の構築を目指す研究でした。
一方、2009年に3年期限の関学特別プロジェクトとして「アジア都市コミュニティーセンター:Urban Community Research Center for Asia (UCRCA)」を設置しました。これは上野研究室のゼミ活動をより広範な研究活動につなげるための装置が必要と考えたからです。UCRCAは特にモンゴルのコミュニティーの改善のための様々な試みを実施する手だてとすることにありました。これらいずれも2006年から積み重ねてきたゼミのモンゴル研修旅行で得られた知見とネットワークによるアウトプットといえます。
そこで、この足固めのうえに2010年、UCRCAはZorig Foundationとの協働活動Community Building Young Leadership Programを設置し、その対象プロジェクトとしてダンバダルジャ地区第58番高校にCommunity Building Young Leadership Club (CBYLクラブ)をつくりました。この経過は昨年度2010年の報告書に詳しく述べられています。簡単にいえば、これは高校生の自発的参加において1年間、コミュニティー・サービスを促す活動をし、その優秀な修了生に奨学金を与えるものです。Zorig Foundationの研究主任Badruun Gardiの指導により、このプログラムには10人の学生が参加し、2つのコミュニティー活動を行いました。これは2011年7月に終了し、2名の学生に大学奨学金を出しました。コミュニティー意識の醸成という小さいながら非常に重要な種まきをしたといえるでしょう。
モンゴル研修はひとまず今回で終了となります。今後はUCRCAに活動を継承していくことを考えています。
これまで長く、この研修にご協力いただいた日本大使館、JICAモンゴルオフィス、エンフチロン大学の近彩先生、第58番高校の校長、Handaa先生始め、教員、大勢の中学高校生、講義いただいた講師の方々、資料提供くださった方々、そしてUCRCA組織パートナーのZorig Foundationのディレクター、Badruun Gardi、学生を受け入れて心をこめてもてなして下さったホームステイ先の家族(何と素晴らしい人たちか!)日本語通訳から運転手さんまで、多くの皆様の温かいご協力に心から感謝いたします。
そして、上野ゼミの卒業生諸君、あなたたちに心から感謝。今見事に社会に飛び立ち、世界に飛び立ち、働いているあなたたちこそ、ゼミの誇りであり、希望そのものです。
上野 真城子
『モンゴルと日本の架橋になる(Act as a bridge between Mongolia and Japan)』
私たち上野ゼミ3回生は、6年に渡りモンゴル研修を行っている。今年も、例年通り、モンゴル研修へ行く前提で、4月からゼミが始まったのだが、3月11日に未曾有の大震災が起こり、私たちは日本が今このような大変な状況の中、モンゴル研修へ行くべきなのか、について話し合うことになった。その話し合いの中で、たくさんの国の中でも特に、多くの支援をしてくれたモンゴルに感謝の気持ちを直接伝えることができる、とてもいい機会なのではないか。また、モンゴルからの支援金の使われ方や日本の現状を直接伝えることができるのも、私たちだからできることである。また、モンゴルから多くの支援をもらったことを日本人である私たちは、あまり知らなかったので、モンゴルについて研究を行う私たちが日本の人々に伝えなくてはいけない、と思った。また、モンゴルについて調べていく中で、モンゴルにも大きな断層があり、地震が起こる可能性があることが分かった。地震大国として、地震というものをあまり知らないモンゴルの人たちに「防災」という考え方を伝えよう、ということになった。モンゴルと日本、双方に良い影響を与え、モンゴルと日本を繋げる架橋のような存在になれるように、ということで、このコンセプトに決まった。(文責:芝田真子)
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更新日: 2012/03/08 -12:55 PM