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NPOシンクタンクとCBO Democracy&CivilSociety研究

政策を学ぶひとに:ロバート・S・マクナマラの死去に寄せて

1.マクナマラと「日本のシンクタンク」の関わり
2.マクナマラとシンクタンクの創出
3.「政策分析」と「政策アナリスト」の興隆
4.最後に:過ちからまなぶこと

1 .マクナマラと「日本のシンクタンク」の関わり
すでに一昨年から、いつその知らせがあってもおかしくないと言われていたものの、7月6日のロバート・S・マクナマラ氏(以下敬称略)の訃報に接して、個人的に深く残念に思うことがあり、この欄を使ってその思いを書かせてもらいたい。
私はここ二十年近く思いがけなく、マクナマラと「出逢う」ことができた。
もちろん、この米国の現代史に大きな論議をよぶ人物と交流があったなどと大仰なことを言うつもりはない。
しかし、マクナマラとの「出逢い」は私にとって大きな意味を持ったので、歴史の伝承とは言わないが、マクナマラの理念と行動のほんの些細な部分でも、日本の次代に伝えておきたい。
しかし考えてみれば、ベトナム戦争も、ケネディーもジョンソンもほとんど死語に近い日本の若者に、マクナマラの名前は何の響きもないかもしれない。
米国でもすでに歴史の中に埋もれようとしていたのだが、しかし彼の死去の報は、主要紙やインターネット上にかなりの反響を呼んだことは確かである。
58,000人の米兵の命を犠牲にして、93才まで悠然と生きられたとは何事かといった厳しい言葉にみられるように、彼の生涯は、同時代の米国はいうまでもなく、ベトナムに、そして世界に、個人としては並はずれた影響を持った人間であったのである。
ただここで私が述べようとするマクナマラへの思いは、政府権力の中での国防長官としてのマクナマラについてではなく、私が関係した「シンクタンク」ということからの―多くの米国のトップ・シンクタンクが理事として迎え、シンクタンクのゴッドファーザーと言われる―マクナマラについてであり、そして彼が日本に向けて「真に独立的な、政策分析機関、シンクタンクを造れ」と言い残したそのメッセージと政策研究との関わりについてである。

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更新日: 2012/11/02 -05:50 PM