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米国の政策分析と日本が学ぶべきこと

米国の政策分析と日本が学ぶべきこと

  • 1.運動としての政策分析
  • 2.政策分析と予算形成の民主化
  • 3.日本は何をなすべきか

政策分析ネットワーク『季刊政策分析J 第l 巻第1 号(2004年10月)抜刷

1.運動としての政策分析

 少し古いことになるが、1997年11 月、ワシントンD.C で開催された公共政策分析経営協会APPAM(Association of Public Policy Analysis and Management 、(1) ) の年次総会での基調講演「政策の成功」のあと、アリス・リプリン( Alice M. Rivlin) 女史は「政策分析は、今、日本に必要なものよ」と明言された。これは、著者がアーバン・インスティテュート(2) で働き、日本に本格的な独立シンクタンクをつくること、政策産業の振興を願って動 き続けていることを話したときの即刻の返答だった。 リプリン女史はラドクリブ/ハーバードでPh.D を取ったエコノミストで、1975年から1983 年まで米国の議会予算局(CBO) の初代局長、 1994年から1996年には、行政管理予算局(OMB) 長官などを歴任し、当時は連邦準備制度理事会副議長であった。 現在はブルッキングス石汗究所(3) シニア・フェローである。 このときのAPPAM総会には、当時、政策分析ネットワークを作ろうと努力されていた竹中平蔵氏(現在、内閣府特命担当大臣・金融経済財政政策)と 片山泰輔氏(現在、跡見学園女子大学助教授) も参加されていた。 APPAM は1978年に設立され、全米のシンクタンクと公共政策大学院、政府内の政策分析機関を連携し、 米国の政策分析の発展と政策産業の興隆を担った、いわば「政策運動」の母体組織である。 竹中氏らはこれに着目し、APPAM をひとつのモデルとして、1999年に政策分析ネットワークを設立された。 これを「学会」としなかったこととあわせて、政策分析ネットワークの設立は日本の政策コミュニティーの形成において画期的なことであったといえる。
 今回の『季刊政策分析』の発行はAPPAM のJournal of Policy Analysis and Management が果たしたと同様に日本の政策分析の振興に重要な役割を果たすものと思う。
2003年末に、著者は久しぶりに日本に戻り、短期的に政策大学院で教鞭をとる機会を得た。 限られた経験からの印象は、日本には未だ政策分析と政策アナリスト(政策プロフェッショナル) が繁栄する土壌が極めて乏しいということである。17年余り、米国の代表的シンクタンクで政策(研究)の最前線に触れ、民主的統治制度においての政策形成に政策分析がいかに重要かをことごとく教えられ、学び続けた者として、政策分析の需要と供給の質量に日米間の深いギャップを感じざるを得ない。
 日米が同じでなければならないことはまったくない。しかし、本質的な問題は、現在日本では、いくつかの政策のアイデアが不足しているといったことではなく、あらゆる政策の点検をはじめとして、膨大な情報と知識と議論を含めた、政策分析力、政策評価力、そして優先性を判断し決断する政治を含む、総合的政策決定力が決定的に不足していることである。 これらの能力は「公共セクター」 すなわち「政府」 と「政策」 に必須の能力であるにもかかわらず、である。 政策分析の貧困はあまねく日本の公共セクターの脆弱さを表している。端的にいえば、時代の市場・民主主義の過程を進めるための、知の生産とそのための装置、資産、資材人材が極めて不十分で、あるのだ。
 政策分析は1970年代以降、米国において興隆してきた。 しかしながら、これがアメリカ的といえるのだが、 政策分析とは何かという明瞭な定義があるのか、あるいは、学問領域として確立された体系を持つのかといえば、必ずしもそうではない。
 政策分析は学問としては「政策科学」の中に体系化されるといえるかもしれない。宮川公男麗津大学教授の編纂されたThe Science of Public Policy:Essential readings in policy sciences(4) は、政策分析の科学としての確立にとっての重要な布石となるだろう。
 しかし、著者には、政策分析は、多分にそうした学問領域として確立することでは収まり切れないものがあるように思う。 なぜなら政策分析は現実の短期および長期の社会問題の解決を目的とした、 科学知識の「応用活動」 であって、米国での政策分析の展開をみると、 この発展原理は、学問志向性にはなく、実効性、運動性、現実への働きかけを重視する、 合理性とミッション(使命)志向の研究活動の経験の蓄積にあるといえるからである。 すなわち個々の政策分析研究の評価は、その最終成果、純粋学開業績によるものではなく(それも含められるが) 、 いかに現実に取り組まれた目標(ある社会問題の解決)を達成したか、 これに影響を与えたかによるものであり、それは唯一絶対の正解と真理の追究、科学的体系の構築を(必ずしも)志向するものではないからである。 政策分析ネットワークは「学会」とするよりも、よりアクテイブな運動体とされるほうがよいと思うのは、政策も(民主主義と同じく)プロセスであり、それへの 「知」の関与の姿勢こそがこの集団の特質となると思うからである。

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更新日: 2015/03/05 -03:40 PM