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ノンプロフィット・セクターの活動とアメリカの市民社会 - 国際セミナー

社会保障研究所では、去る7月12日に米国アーバン・インスティテュート研究員上野真城子氏の講演を中心に、第一回社会保障研究国際交流セミナーを開催した。当日の講演内容を以下に掲載する。講演にひきつづき、セミナー参加者による一般論が行われたが、討論については、掲載を省略する。

社会保障研究所では、去る7月12日に米国アーバン・インスティテュート研究員上野真城子氏の講演を中心に、第一回社会保障研究国際交流セミナーを開催した。

当日の講演内容を以下に掲載する。講演にひきつづき、セミナー参加者による一般論が行われたが、討論については、掲載を省略する。

はじめに

本日は、第一回社会保障研究国際交流セミナーという、非常に立派な課題の付いているところで講演させていただけて、たいへん光栄に思います。

私はアメリカのアーバン・インスティテュートという、中堅のシンクタウンの研究員です。もともとは住宅政策が専門の研究者です。

ノンプロフィット・セクターに関しては、どうしてもこれは日本に紹介したいということで、ボランタリーな自分の研究としてやってきたものです。

今、なぜノンプロフィット・セクターか。

ノンプロフィット・セクターというのがなぜ大事かというと、これにはいろいろな理由があります。まず、いまの東欧とか社会主義圏の非常に大きな民主化への動き、近代化への動きというのに関連させて見ることができます。これは1つには国家というものがどこまで人々の生活にかかわっていくか、個人の自由、人権というものを、どこまで守り得るかという事に対する、非常に大きな疑問符が提出されていると思うのです。その中で民主化ということ、民主主義制度をどうするかということが、今彼らにとって問題なわけですけれど、ノンプロフィット・セクターというのは、その1つの答えとしてというか、1つの方向としてあるということが言えると思います。

もう1つはアメリカ社会特有の問題ですが、アメリカ社会は80年代、レーガンがいろいろな意味で小さな政府を作ろうとしました。実際には小さな政府にならなかったのですが、彼が言ったことで、まあ良かったといえる部分の1つに、公の責任を、悪く言えば民間に押し付けたという事があります。それで社会福祉政策、都市政策、住宅政策の上で、非常に大きな助政カットをした。その結果、州とか、市とか、民間レベルで、それをどうにかしなければいけなくなった。自分達の生活、自分達の問題を自分達でどうにかしなければいけないという流れが、非常に強く出てきました。

そういう中で90年代に入って、社会問題が顕在化しはじめめてきています。明らかにホームレスが増えて、社会の恒常的貧困層といわれる人達が、都市の中心部に留まりはじめた。恒常的貧困層というのは、アンダークラスと言われますが、何代にも、何世代にもわたって貧困を続け、そこから出ていかれない層が出てきている。そういうことで、住宅問題、雇用問題、人種問題、すべてを含めて、社会の底辺が問題を累積させているという、アメリカ社会の実現があります。そうした中でレーガンの財政削減に対抗しつつ力をつけてきた民間のノンプロフィット・セクターの力というのは、今のアメリカ社会にとって、社会変革のための非常に重要な要素であるといえると思います。それで全部解決されるとは思わないけれど、ノンプロフィット・セクターというのは、1つの可能性としてあるのです。

同時に、ノンプロフィット・セクターというのは、アメリカ社会を理解し、アメリカ社会の活力を提供する根源であると私は感じますし、それはもしかすると、非常に閉塞的になっている日本の社会が変わり得る、何かの鍵になるのではないかと考えて、それを説明し、皆さまの意見もうかがいたいと思います。

ノンプロフィット・セクターとは何か。

ノンプロフィット・セクターというのは、日本ではなじみのない言葉だと思いますが、3つの経済活動というものを頭の中に入れていただきたい(図―1)。

まず、パブリック・ガバメント・セクター(公共セクター)と言われるものがあります。日本の社会でも行政が上から下まで、社会のめんどうをみて、これが経済セクターとしても大きな活動領域を占めています。

次にプライベート・フォー・プロフィット・セクターというのは、利潤を目的とする民間企業セクターです。

日本の場合は企業セクターと公共セクターによって、経済活動がほとんどすべて出来上がっているといえると思います。

ここにもう1つ、ノンプロフィット・セクター、民間非営利セクターというのがあるというふうに考えていただきたい。

アメリカの場合、この3つのセクターによって社会が構成をされているといえます。

ノンプロフィットというのはプロフィットがない、利益がない、非営利ということですが、この呼び方については学問的にきちっと出来上がっているわけではなく、いろいろな議論がまだまだなされています。たとえば、ボランタリー・セクターという言い方をする人もいます。またサード・セクターと呼ぶ人もいます。これは日本のいわゆる第3セクターとは別です。日本の第3セクターというのは、企業と公共が金を出し合って、一応利潤を目的として動いているものを言っています。アメリカで言う第3セクターというのは、ノンプロフィット・セクターのことを指しています。

ただ、サード・セクター、第3番目のセクターという言い方に対して、ノンプロフィットの人達は、我々は政府よりも、企業よりも先に、もっと昔から存在していたのだから、ファースト・セクターであるという言い方をしています。

それから、インディペンデント・セクターとも言っています。これはインディペンデントである、独立の、独自の、自立した活動を基本とするセクターであるという意味で、いい呼称だと思います。

その他、慈善を基としているからということで、チャリタブル・セクターという言い方もします。

なお、最近日本でフィランソロピーということが言われていますが、それはノンプロフィット・セクターの一部の活動として考えていくことが望ましいのではないかと思います。

その他にもいろいろ呼び方がありますが、全体として社会の経済活動に3セクター制があるというふうに考えていただきたい。

図―2はこのセクターをわかりやすく説明するために、私が作り出したセクターの鳥瞰図です。

まず、ノンプロフィット・セクター、民間非営利セクターはノンプロフィット・オーガニゼーション(民間非営利組織)というものが沢山集まって、その活動のトータルとして、見ることができます。

民間営利セクターに様々な企業法人があり、公共セクターに地方の市町村まで様々な行政体があるということと同じで、民間非営利セクターには様々なノンプロフィット・オーガニゼーションというのが、単位としてあるということです。

民間非営利組織には、まず財団、ファンデーションと言われるものがあり、様々な募金、基金団体というものがあるというのが、1つの特徴です。そのほかに教会をはじめとした多くの宗教法人、それから医療健康法人、病院とか地域で医療サービスをする組織、また、それから社会福祉サービス、ホームレスのことや、低所得者層向けの住宅のサービスをしたり、その法律的な援助をしたりという、地域の社会サービス組織があります。

それから、教育に関してはアメリカの主要大学、例えばハーバードだとかMIT,また私立のプライベートの学校もこのノンプロフィット・オーガニゼーションになります。研究開発に関しては、民間の営利を目的とした企業の中の研究所もあるし、国立の研究所もありますけれども、ノンプロフィット・セクターにも、非常に沢山の研究所、シンクタンクが含まれます。

それから、友好団体、芸術文化団体、博物館、公共放送、TVなどが、ノンプロフィット・オーガニゼーションに含まれます。

あと、難民援助とか、国際援助組織、グラスルートのNGOの組織もあります。

ここで言えることは、日本的に考えるならば、公共がサービスをしてもいいのだけれど、それを民間でやっているという組織、公的活動をしているオーガニゼーションが沢山あって、それが全体としてノンプロフィット・セクターをつくっているわけです。

これらの組織は何で食べているかというと、1つは公共セクターからの補助金がいろいろある。たとえば、医療保健に関してメディケイド・メディケアという制度があって、老人および貧困層に対して、政府は医療補助をしていますが、そういうものを含めて、様々な形の補助金制度があって、ノンプロフィットの活動を支えています。

もう1つは、民間の企業が様々な形で献金をしています。これはコーポレート・フィランソロピーとして、企業が社会的貢献をしろいうことで、日本でも最近注目をされていると思います。その献金は個々の財団になされたり、基金団体になされたり、それからノンプロフィット・オーガニゼーションに直接なされたりします。

もう1つ大きいのは、一人ひとりの市民が、そういう組織に対してお金を出している、献金をしていることです。そしてかつボランティアワークとして労働提供していることです。

そういうものを受け入れて、これらの組織が様々な社会サービスをしているわけです。

こうしたサービスの他に重要なことはこのセクターが、様々な企業の方針変更を要求したり、公共の対策に対して、マイノリティの権利を守るために、それはそうあってはいけない、この政策はこうあるべきだという形で、それはアドボカシーと言われていますが、代弁者として機能していることです。アドボカシーというのは、まだ厳密に定義をされていないように思いますが、いろんな意味での個々人の権利意識を表明して、政策変更をさせていこうという形のものですけれど、そういうアドボカシーの活動をしている。

もう1つは市民参加という形で、公共セクターをチェックしています

セクターの規模

では実際にこのセクターがどのくらいの規模のものであるか、ですが、国民総所得でみると、公共セクターの所得として考えられるものは、アメリカの場合は全体の15%、ビジネスのセクターの部分は78%で, ノンプロフィット・セクターは7%ぐらいを占めるだろうと言われています。

これが大きいといえるかどうかというのは、意見がいろいろあると思いますが、私は非常に重要な意味を持っていると考えます。

このノンプロフィット・セクターというのは、比較上いろいろ問題があるのですが、日本の公益法人に対応すると考えると、公益法人活動が、日本の総所得の中でどのくらいを占めているかということが、研究課題としてあると思います。明確に調べてはありませんが、印象としては0.8%から1%ぐらいではないかと思います。

図―4は3つの経済活動に雇用される人の数を算定計算したものです。算定計算という意味は、例えば、ノンプロフィット・セクターによる雇用者数ですが、このセクターは沢山のボランティアを受け入れているというのが特徴なので、そのボランティアを雇用者と置き換えて計算しています。まずノンプロフィット・セクターの正規の雇用者は、アメリカの全算定雇用の6%を占めます。それから、ボランティア活動を正規の活動に算定し直すと、それは5%程度になり、合わせて、全算定雇用の11%がノンプロフィット・セクターで働いているということになる。公共セクターについては、公立学校に対するボランティア活動などがありますから、それを加える全体で18%になる。ビジネスに関しては、これはボランティアというのはほとんど意味をなしませんが、71%ということになります。11%の雇用を抱えるセクターということで、これはやはり注目をすべきことです。

セクターを支えているもの―資金源

ノンプロフィット・オーガニゼーションは、企業として投資し、収益を上げて、成長するということではないので、いろいろなところから金をもらってこなければなりません。そこでセクターの資金源を示したのが図―5です。それは1987年のノンプロフィット・セクター全体の収入源を示しています。その中で個人および企業などによる献金が27%を占めている。政府などからの補助が26%です。

また、ホスピタルも、社会サービスにしても、お金を取れるものは手数料金として取って、それなりに費用をまかないますが、それらの様様な料金が、39%です。ですから、4/1が公的補助、4/1が献金、サービスに対する収入が1/3を占めて、あとその他資産の運用などによる益ということになります。

このセクターで特徴的なことは、献金の部分です。これは逆に言うとギビング「与える」ということです。社会的な目的のためにお金を出しましょう、労働を提供しましょうということですけれど、その場合お金はどこから出てくるかというと、それはプライベート・パーソン、すなわち、個々人、一人ひとりの市民が約8割、83%を出しています(図―6).なおこれは100%ノンプロフィット・セクターに行くとは限らないで、公共セクターにも多少まわりますが、大半はノンプロフィット・セクターに行っています。コーポレーション、民間企業からのものが5%、それからいろいろな財団、これがお金を持っていて、その金をノンプロフィットのオーガニゼーションに出しているわけですが、それが6%、そして個人の遺言などによって支えられる部分が7%ということになっています。そういうことで、企業献金も非常に重要だし、財団の献金も重要ですが、個々人の市民の献金によって支えられているということが、大きな特徴だと思います。

その個々人の献金の額が多いかどうかですが、ノンプロフィットの活動に対して、年間世帯当たり562ドル程度を出している。それは収入の約1.5%になる。

それから、もう1つボランティアの労働提供に関して言えば、だいたい週2時間程度を各世帯がさまざまなボランティア活動にさいています。

(表?1)

なお、ボランティアを実際にしている世帯は、1世帯当たり893ドルと、お金も沢山出しているという傾向があります。

そういう形で、個々人の世帯および個人が金と労働を出してノンプロフィット・セクターを支えているわけです。

セクターとフィランソロピー

もう1つ注目すべきことは、フィランソロピーということです。このセクターを支えているのは、さまざまな人間の献金であり、博愛精神(フィランソロピー)といえるわけですが、そのフィランソロピーのあり方として特に面白いのは、財団というものの存在です。アメリカには財団が沢山あります。日本にも最近財団が沢山出来はじめていますが、アメリカの場合、ノンプロフィット・オーガニゼーションに対してサポートする財団が約2万3,000ぐらいリストアップされています(表?2)。その中で一定の規模以上のものを集めた財団名簿というものがありますが、そこにはトータルで6,615が挙げられています。その中の81%、5,300余のものが、フォード財団とか、ロックフェラー財団とかに代表されるグランドすなわち助成金を与えることを目的にした財団です。

カンパニー・スポンサー財団というのはATエンドT.とか、大きな企業の収益の一部をその財団に特定して流して、それが様々な社会事業などに直接、間接に貢献してるという形の、企業スポンサーの財団で,これが13%です。

もう1つ、コミュニティ財団というのが,最近できてきています。あるコミュニティの、特定の地域の問題を扱うことを目的としてその地域の銀行とか、企業とかのお金を集めて、それをまとめ留めて、それをコミュニティの問題の解決のために使う。そういう地域性を明瞭に地域の資金を活用した財団というのが、最近急速にできはじめています。これが2.6%です。まだ数としては少ないし、規模も小さいのですが、今後重要な役割を果たすだろうと言われています。

こういう財団の存在というのが、非常に重要な意味を持っています。

この財団というのが、フィランソロピーを具現化したものと考えることができます。

このフィランソロピーということに関していえば、アメリカの社会というのは、市民社会、民主主義、個人の自由をどう守り続けるかということを、非常に大事にしている社会です。それを抜きにしてアメリカのフィランソロピーを語ってはいけないと言う人がいます。アメリカ社会の基本的価値観として、自由とか、個人の尊厳の尊重、個人の人権というものがあります。それらを守るために社会制度をつくり、民主主義制度をつくり、代議員制をつくり、三権分立を厳密につくり、それから信仰の自由とか、宗教と政治との分離ということを大事にしてきている。

そういう社会制度と基本的価値観に奉仕するものがアメリカのフィランソロピーであるのです。フィランソロピーというのは、そういう価値観、制度、機構に奉仕し、個人の表現とか、創造性というもの、批判とか改革、そして逸脱と思えるものさえも助けていかなければいけないのだということで、それを忘れてはいけないし、財団にとってもそのことが、財団活動の重要な指針になっていると言えると思います。

財団にはいろいろな大規模なものがありますが、例えば、フォード財団の資産額は50億ドル、年間の補助額1億8,000万ドルで、もう1つの政府とまで言われるぐらいの力を持っていて、ある意味でアメリカ社会の新しい動きに、非常に大きな力を与えているということが言えると思います。

1920年代、30年代に財団というのが沢山出てくるのですが、たとえばカーネギー財団とう有名な財団があり、これもアメリカの社会、文化、教育に関して金を出し続けてきています。カーネギーという人は鉄鋼産業によって巨額な富を作ったのですが、「金満家として死ぬことを不名誉としろ」、つまり金を持って墓場に行く必要はないということで、金を出して財団をつくったわけで、フィランソロピーの中でのロールモデル、ある意味でアメリカの資本家達を、大きく教育をしたと言われています。そういうことで、財団というものがよしあしいろいろあるものの、ある意味で、自分たちこそが社会変革をしていこう、社会に貢献をしようということがあって、いろいろな事業を起こしてきています。

財団とともに、企業も重要な役割をしています。

日本の企業は今相当の金を儲けていて、ここでそろそろ社会に貢献しなくてはならないと思いはじめているということは、非常に大事なことだと思いますが、フィランソロピーということを理解していかないといけないでしょう。例えば企業が外国に出ていったときに、現地の人と摩擦を起こさないためには、ただ金をやればいいということではなくて、その地域の市民の活動として、本当に何が求められているのかということを、合わせて考えていかなければいけないと思います。

なお、アメリカの場合の企業献金というのは、企業の税控除前の所得の2%程度で、あまり大きくはありません。もうちょっとあってもいいのではないかということで、いまその5%を出せという運動をしています。また、会社員は自分の時間の5%程度をボランティアとして地域に出すべきではないかということも言われています。ですから、アメリカの企業が必ずしも理想的なことをしているとは言えないのですが、少なくとも2%程度の献金はコミュニティに対してしています。

コミュニティへの貢献ということ

そういうことで、個人のレベルから企業まで、コミュニティに貢献をしていこうという姿勢があるわけでるが、そしてそれはアメリカの社会の出来方などに関係するのですが、やはり小さいときから子供達に、コミュニティに貢献しなさいということを、非常に強く言っているということが、根底にあると思います。もう1つは、楽しみながらボランティアをしているという面がある。もちろん立場、立場がありますけれど、自分のやれることを、自分が楽しみつつボランティアをしよう、社会貢献をしようということで、その精神がのびやかなわけで、それが非常に大事だと思います。

たとえば、私の仲のいい友達などは、離婚してシングルマザーで、子供を育てている。それでとても忙しいのですが、水族館に行ってボランティアをやっています。なぜ水族館に行くのかというと、彼女は、スクーバダイビングが好きなのです。それをするには水族館のボランティアがいいと言って、水族館に登録をして、ボランティアをやっている。水族館ではサメやエイなどに、スクーバダイビングをしてエサをやるわけです。彼女はしょっちゅう移転しているのですが、そのたびにすばやくその地域の水族館に行って、登録をして、自分のやれる時間に、楽しみつつボランティアをやっています。

ノンプロフィット・オーガニゼーションとは何か。

ノンプロフィット・オーガニゼーションに関してですが、オーガニゼーション自体いろんなものがあります。アメリカの社会というのは歴史的に、何かをやりたいというときには、すぐにグループをつくってやる。そしてあるときにはそれを法人化して、ノンプロフィット・オーガニゼーションをつくって、力をつけて、何かをしていく。もちろんノンプロフィット・オーガニゼーションにならない組織も沢山あります。アソシエーション社会と言われていますが、何でもグループを作ろうということをやる、アメリカはそういう社会です。

その中でノンプロフィット・オーガニゼーションというのは、非課税を申請できるという特典を与えられている組織です。ノンプロフィット・オーガニゼーションをつくるときは、国税局に申請をして、国税局がそれを審査して許可します。許可させると所得に対する課税を控除されます。アメリカの場合、連邦政府の課税権と、州政府関係、ローカルの課税権といろいろ違いますが、連邦政府の非課税を受けると、だいたい州政府においても、同じような非課税処理を受け、固定資産税に関する税等を控除されます。これが大きな特典となっています。

そういうことで税金を払わないということは、みえないかたちで、国家が援助をしていることになります。そういう非課税措置を与えられるということは、国の制度の中に組み入れられ国家の補助を得ているわけです。この税制度を使えるということが利点です。

この点に関していえば日本の場合非課税という意味が、どれほどあるのか、多少疑問になります。なぜなら日本の法人税は抜け穴が沢山あるようで、儲けを申請しなくてもよいし、また税率が小さくなるから、あまり非課税の意味がないのではないといわれます。

アメリカの場合は、そのへんの抜け穴が日本よりずっと少ないということがあると思うのですが、非課税の意味というのは非常に大きくて、三十数パーセントの法人税を控除されることは重要です。

ノンプロフィットを免税組織として、国税局が認めるわけですが、その規定は組織の収益が、個人とか、株主とか、理事とか、その組織にかかわるいかなる個人にも還元されてはならないということが原則です。ということは儲けを個人のものにしてはいけないということです。儲けてもいいけれど、それはその組織の活動に回していかなければいけない。そして、その組織の活動というのは、さまざまな意味で公益的な活動であることとなっています。それ故に税を控除するということなのです。

非課税組織というのは、法的に言えば、いろんな法律の項目に当てはめて考えなければいけないのですが、その中で特に主要なのは、国税局法501(C)(3)号というのと、501(C)(4)号で、それらの組織はあわせて数として55万近くあります。非課税組織全体では93万組織ぐらいです。ノンプロフィット・セクターと言われるのは、その非課税全体の組織を言うわけですが、特に公益的目的にかかわるものは55万ということです。

たとえば国税局法501(C)(3)号とは「法人、コミュニティ・チェスト、ファンド、財団で、宗教、慈善、科学、公衆安全にかかわる試験、学問、または教育目標、または国内、国際のアマチュアスポーツ、競技を進行するため、または子供、動物虐待防止のための目的に限って組織され、運営されるもので、その純益のいかなる部分もどの株主、および個人の利益に役立ってはならない」ということです。もう1つ、不特定個人の選挙活動をするような組織はいけないということがあります。

そういうことで、一応公益性というのが、図られるわけですが、比較的容易な形で国税局が公益活動団体として、ノンプロフィット・オーガニゼーションを認めるということになります。

図―7は、民間非営利組織の支出と雇用者数を示したものです。

この中でもっとも大きいのは医療関係のものです。ホスピタルとか、地域医療サービスをしている団体です。これが支出というか、お金の額としても大きいし、雇用者数としても大きい。

次に支出として大きいのは、大学および教育関係、研究機関というものです。それから宗教団体です。社会サービス、社会福祉、法律援助機関というものがあります。特に社会福祉組織というのは、社会サービスの末端サービスを引き受けているという意味で、非常に重要です。

あとは様々な友好団体とか、芸術団体とかがあります。公共放送とか、公共TVというのも含まれます。

図―8は組織の種類ごとの資金源と大きさです。各組織によって、お金の出方が非常に違います。たとえば宗教団体は国からの補助はなく、個人の献金が主要なものになっています。それに対して、医療関係には公共補助が相当あります。というようにセクターの中でも、組織によって、ファンド、お金の出方の種類は、非常に違っています。

それから1つ特徴的なこととしてあげられることは、このセクターの雇用の中心は女性だということです。2/3が女性です。これは給料がほかのセクターに比較して低いということもいえるのです。しかし一方で言えば、女性達が比較的自由に何か事業を起こし、社会サービスをし、いろんな研究をしていく1つのきっかけとして、ノンプロフィット・オーガニゼーションをつくって、自分達で食べていきながら、いろいろな意味での公益的な活動にかかわっていけるということを示しているといえます。

最大利潤を追求する企業社会に組み込まれる前の準備の場所でもあるかもしれないのですが、そこへ行かなくともやっていけるという意味で、女性達の働く場として、非常にいい場所であるということです。

セクターの役割

それでは全体として独立、自立的、民間非営利活動、ノンプロフィット・セクター、特に社会福祉サービスなど公益活動をしているノンプロフィット・オーガニゼーションが、社会にどういう機能を果たしているかということをまとめてみます(図―9)。まず社会サービスを末端で配分しているということ、それからアドボカシー、さまざまな末端の声を集めて、社会に知らしめていき、それから政策提言にまで持っていくということ、それから市場経済に乗らないさまざまな活動をサポートする、また古い価値観を守り、新しい価値観を提示するということがあります。また様々な意味での創造性とか、変革とか、改革の知恵というのは、一つ一つのマイノリティから出てくるわけですから、それを徐々に大きくし、社会の力にしていくということ、もう1つは楽しみを与え、人々の交わり、集いの場を提供しているということです。

これはノンプロフィットの人達に言わせれば、ノンプロフィット・セクターこそがヒューマンスピリット、人間精神のための唯一の自由なスペース(場)であるというわけです。そしてその基本となるのは、基本的な人権を守り、表現の自由を守り、集会の自由を守るということによって、このセクターが自由に活動し、力を持てるのだというふうに言っています。

たとえば、アメリカ社会での重要な頂点をつくる法律があります。古くは奴隷解放の問題から、1960年代の公民権運動、ラルフ・ネーダーを代表とする消費者運動、女性解放運動、児童労働に関するさまざまの法律、環境保護の問題、それからつい先日出た、障害を持つアメリカ人のための法律―これは公民権法に次ぐ重要な法律と言われていますが―そういう法律はノンプロフィットのセクターから生み出されていきているということができます。

また、社会福祉サービスに関して言えば、ホームレスの問題、シングルマザーの問題、老人の問題などがあります。たとえば、ワシントンD.C.は人口60万前後の都市ですが、そのうち7割が黒人とマイノリティーです。さまざまな意味で問題があります。ワシントンD.C.には連邦政府があり、連邦政府が主要な就職先になりますから、ある意味ではマイノリティにとっては暮らしやすいし、マイノリティの所得レベルも高いのですが、それでも大変です。そのD.C.の中に「住宅問題」にかかわるノンプロフィット・オーガニゼーションというのが200以上あります。それぞれが様々なかたちで、住宅問題を扱っています。しかし、200もある必要はないじゃないかとあるホームレスの問題を扱っている、ノンプロフィット・オーガニゼーションの人に私は言ったことがあります。お金は限られている。補助金も限られているし、献金だって限られている。その限られたパイの中で200が競合するということは(ホームレスの問題に限れば20ぐらいですが)、非効率ではないかと言ったのです。

それに対しては、いろんなものが競合して、少しずつ目的を変えて、サービスの質を変えて、提供していく、そういうものが沢山あることが大事なのだという答でした。そして、それに失敗すれば、その組織は潰れてしまいます。成功をすれば、つまりホームレスを助け、またボランティアを集め、そして献金を得ていけばそれなりに力を持つ。そうやって競争をしていくことが大切だと言うのです。

ホームレスの問題にしても、老人のホームレス、家族持ちのホームレス、女性のホームレス、精神障害を持った人のホームレスということで、少しずつ需要が違うのだから、それに対応して、臨機応変にいろいろな組織があっていいのだという話もしていました。

そういう形で、様々な組織が生まれてきて、そのそれぞれが活動できる場として、ノンプロフィット・セクターが存在するわけです。

以上、私のつかんだノンプロフィット・セクターの全体像を述べてみましたが、それに1つ加えておきたいのは、だからといって、それをすぐ日本に持ってくればいいとはいえないと思っています。というのは、アメリカ社会というものを考えていくためには、幾つかの忘れてはならないことがあると思うからです。

中でも特に大きいのは、アメリカは200年という、歴史の新しい国家だということです。200年前の建国の父達が考えたことというのは、ヨーロッパの国家が個人の人権を無視し、国家というものが勝手気ままなことをやってきたということです。彼らはそこから逃げてきたないしは学んできた人達であり、国家というものは個人の人権を必ずしも守らないということをよく知っていました。最初から個人と国家との関係をどうするかということを必死に考え、アメリカという国家というものをつくっていったわけです。国家というのは必要悪であるから、その力をできるだけ小さくし、その権力が横暴にならないように、三権分立というものを考え出した。そしてその三権分立を常に市民がチェックしていかなければいけないということを、最初から考えていたわけです。

そういうことで、個人の責任とか、個人の人権とかいうものに対する考え方が、日本とは非常に違うわけです。アメリカの200年の歴史というのは、もちろんいろいろ揺れ動いているし、その歴史というのは単純に万々歳とは言えませんが、一応まじめにこの問題を考え続けてきたということを、無視してはならないという気がします。

もう1つは、アメリカが沢山の移民を受け入れてつくられてきたわけで、多様な移民がこの国の活力をつくってきたという認識は、彼らに非常に強くあると思います。毎年65万から70万の移民を受け入れ、難民に関しては5万から10万受け入れています。それに対して、それは負担が多くなるから、移民の受け入れを少なくしようという運動もありますけれど、基本的には移民なしではやっていかれないということを認識しており、その移民をどういうふうにうまく受け入れていくかということを、真剣に考えていると思います。

その移民をベースとして、多様性ということが出てくるわけで、アメリカは多様な人々を抱えた国です。多様であるということは、非常にコントロールがしにくいということですが、彼らは多様性こそが価値だと思い、多様性を活力として、この国は成長してきたんだということを、繰り返し言います。教育の中などにもそういう話がよく出てきます。

日本は単一民族で、単一民族がいいと思っていますが、それとはまったく別の価値観を持っている。そのことに対して我々は、相互に理解をしないといけないだろうと思います。

そして、そういう多様性をどうしていくかという中で、政治に対する関心が非常に強い、また法律に対する関心が非常に強い。参加型というか、常に個人が参加をしていかなければいけないということを、繰り返している社会だといえるでしょう。

もちろん様々な意味でアメリカ社会は批判されますし、問題があることは、たしかだと思うのですが、アメリカの可能性というのは、まだ膨大にあると思います。アメリカの成り立ち、および彼らの価値観に対して、我々はもっと理解をしていかなければいけないと思います。はっきり言えば、日米摩擦のような問題に関しても、アメリカの市民社会、民主主義というものを理解しなければいけないし、我々自身の民主主義がちょっと違った民主主義になっているのではないかということに関して、我々は注意すべきではないかということを感じます。ノンプロフィット・セクターはこのひとつの鍵となっているといえるのです。

日本にも必要なこと

ノンプロフィット・セクターというのを、過大評価し過ぎている部分があると思うので、それは多少恐れます。しかし、我々の生活というのは、公的サービスに全部頼らなくてもいいはずだということ、これからは多様化した社会になるだろうし、サービスの質も多様性を要求されるし、自由な発想が非常に重要になるということの中で、市民独自の活動を支持していく制度が、日本にももうちょっと考えられていいのではないかと思われます。

日本の場合、様々な意味での市民運動も出てきているし、市民のボランティア活動も生まれてきていると思います。それをシステムとして、たとえば税制度、それから公益法人制度などに関して、考え直していくことによって、もう少し自立的運動を取り入れていくことができるだろうという気がします。

公共体の活動、それから営利を中心とした企業活動以外の活動が、どれだけあるかというのが、市民社会の尺度であるといわれます。

私なども、子供を連れて東京に帰ってきてみて、子供が遊びに行くといって出かけて行くのは、デパートの屋上遊園地とか、なんとかランドなのです。すべてのものが企業の利潤の対象とされています。一方公園などは公共のつくったものとして、塀があり、「何々をしてはいけません」という看板があるような、決まりきったものしかない。日本の社会は空間的にも、生き方としても、楽しみ方としても、非常に限られています。そういうものを打破するためにも、もっと自由なことがやれる制度的な支えがあっていいのではないかという感じがしています。

税制度ひとつを変えるのも大変だろうと思うし、それがすぐ自由な場をつくることに直結するとも思いませんけれども、長期的に税制度を変えていくロビー運動をしていくような組織をつくったらいいのではないかとか、いろいろと思っていることもあります。

一応これで私の話は終わりたいと思います。

  • 統計については、Hodgkinson & Weitzman, Dimensions of the Independent Sector, A Statistical Profile, 1989, による。

本セミナーは社会保障研究所と国際社会福祉協議会日本国委員会との共催で行われた。国際社会福祉協議会から各種の御協力と御援助を頂いたことをここに記し感謝したい。

 

上野真城子 アーバン・インスティテゥート研究員
平成2年7月12日
国際セミナー

 

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更新日: 2011/01/30 -03:59 PM