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市民力育成 問われる日本 - 「論点」読売新聞

日本とアメリカの民主主義の最大の違いは、社会の主である「民」―市民の声とその力量の違いではないか。アメリカ社会が多くの問題にもかかわらず信頼できるのは、政府と独立した、喧騒(けんそう)なまでの市民の声と力があることだろう。日本の政治改革、行政改革や外交協議には、この声と力がほとんどうかがえない。

日本とアメリカの民主主義の最大の違いは、社会の主である「民」―市民の声とその力量の違いではないか。アメリカ社会が多くの問題にもかかわらず信頼できるのは、政府と独立した、喧騒(けんそう)なまでの市民の声と力があることだろう。日本の政治改革、行政改革や外交協議には、この声と力がほとんどうかがえない。

最近この差を痛感したのは、カーター氏が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)訪問の際繰り返した「民間一市民として」という言葉を聞いた時である。訪問には一部で批判もあったが、アメリカの民主主義において尊厳あるこの言葉は、今後の市民社会を考えるキーワードともいえる。アメリカのシンクタンクで欧米や日本の政策とその決定メカニズムを研究している日本人として、この「市民力」を分析してみたい

日本では元大統領という権威に注目しがちだが、カーター氏はここ十数年、人権、住宅問題、公正な選挙監視、紛争回避などに関して国内外で目覚ましい活動をしてきた。これが、市民と民間資金に支えられた力なのである。

民主主義を機能させる必須(ひっす)の要件は、統治を委託した市民がそれを監視し、過ちがあれば指摘し、アイデアを注入し、参加し、正していくこと。すなわち政府の外に常に、目覚め、考え、声をあげ、行動する、健全な対抗力が存在することである。その点アメリカ社会では、政策研究からす社会福祉サービス、消費者保護、マイノリティーの権利にいたるまで、こうした多元的、創造的な知恵、声、活動が、日本と比較にならないほど豊かなのである。

これらを生み育てているのは、民間非営利組織である。数十万といわれるこうした公益的な市民活動組織は、雇用労働力の一割を占める経済活動として明瞭(めいりょう)に位置付けられる。そのすべてが民主主義に直接貢献しているとはいわないが、この活動は行政も企業もできない、社会の活力とダイナミズムを生む鼎(かなえ)の一足となっているのである。

これらが日本の多くの市民組織と比べて力強いのは、経済力を持っているからである。

「アメリカの民主主義には、コストがかかっています。家庭でもあらゆる機会に、子供に人権や自由、民主主義を教え込んでるんですから」とアメリカ人主婦に言われた。なるほど、こうした親たちの時間と努力も含め、活動の資金資源は、政府に任せて税金を払うだけでは多元的民主主義社会は守れないと考えている市民が提供しているのである。

これは世帯あたりにすると、週平均二時間のボランティア活動と年約平均六百五十$の献金となり、昨年の献金総額は千二百六十二億$、アメリカの国民総所得の二・五%に達した。

個人以外には、財団や企業も市民力形成の費用を負担している。特に、まとまった資金を動かせる財団の役割は非常に大きく、アメリカ社会で多くの先見的、実験的、創造的、変革のための研究や活動を支えてきたのである。

財団の数は三万以上あるが、例えばトップのフォード財団(年間助成額は二億四千万$)は政府に先んじて都市社会問題に取り組み、実験や研究に投資し、結果を実際の政策に反映させてきた。マッカーサー、ピュー、ロックフェラー、カーネギーなど著名な大型財団から地域の小型なものまで様々だが、それぞれが独自な方針で運営されている。近年は東欧諸国に政策論争をはぐくむためにシンクタンクの設置を援助するなど、政府を超え、民間であればこそできる活動を広げている。

民間非営利組織が確固とした存在を誇れる理由としてはさらに、政府官庁の規制や監督を直接受けない独立法人であること、内国歳入庁の認可で非課税団体となることができ、市民や企業からの献金も税控除されることに注目しなければならない。こうした優遇措置によって財政基盤を確保し、政府から独立した自由で多彩な活動を展開できるのである。

言い換えれば、アメリカの財団は、政府の経済負担の肩代わりや官庁の利益拡張と天下り確保のためのものではない。むろん、税逃れや乱脈経理などの問題がないわけではない。しかし、民主主義社会へ貢献するという使命によって自らを律し、その内容を明らかにし、そして政府から独立していた方が自分たちの政府のためになると考えることによって、その独立性を保っているといえる。

日本には残念ながら、こうした独立財団や市民組織のもつ制度が整備されていない。昨年の日本の公益法人を巡る問題の争点は、省庁の監督や規制の強化ということではなく、政治家や官僚と癒着する必要のない、民間の自由な意思と市民力を強化するための制度をつくることに置くべきである。

今のところ最善の制度である民主主義も完全な「回答を出すにはほど遠く、その成長にただ乗りはできない。しかし、世界は変容し、国内も変化の波に洗われ、政治や行政など既存体制は新たに輩出する多様な社会的ニーズに対応し切れなくなっている。」いま身銭を切って「市民力」をつけることが、日本に問われている。

米アーバン・インスティテュート 研究員 上野 真城子
1994年(平成6年)7月28日 木曜日
「論点」読売新聞

 

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更新日: 2011/01/28 -03:49 PM