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政策が産業となった米国 シンクタンク・ルネサンス - Ronza 5月号

米国には数多くのシンクタンクが存在する。研究の成果を政策にまとめ、政治に実現しようとする。ジョンソン政権時代に始まる膨大な政府の政策外注が、多様なシンクタンクを生み出した。

米国には数多くのシンクタンクが存在する。研究の成果を政策にまとめ、政治に実現しようとする。ジョンソン政権時代に始まる膨大な政府の政策外注が、多様なシンクタンクを生み出した。

マクナマラ氏のメッセージ

今からちょうど10年前の1995年2月、東京で世界シンクタンク・フォーラムが開かれた。民主的市民社会におけるシンクタンクの重要性を説き、日本に独立的シンクタンクの設立を促そうとした。ジェシカ・マシュー外交問題評議会上級研究員やブルース・マクローリ・ブルッキングス研究所長ら欧米やアジア、中米のシンクタンクの研究者十数名が参加した。中でも元米国防長官、元世界銀行総裁でアーバン・インスティテュートの創始者であるロバート・マクナマラ氏の参加は大きな意味を持っていた。私は当時アーバンの研究員として、アメリカ側のプロジェクト・マネージャーを務めた。

マクナマラ氏は広く政策産業の先端を切り開いた、シンクタンクのゴッド・ファーザー的存在である。彼はフォーラムが開かれる4年前に「シンクタンクを日本へ」プロジェクトの最初の会合で、「もし自分が今、米国大統領だとしたら、まず初めに日本の友人である総理に電話し、『総理、あなたといろいろ話したいことがあるけれど、何はさておき明日にも五つほどシンクタンクをつくりなさい、話はそれからですよ』と言うだろう」と語った。この発言は今も通用する。

それから10年後の今年3月、88歳にしてなお多くのシンクタンクの理事や顧問として活動するマクナマラ氏と、私は電話で話すことができた。以前より柔らかな声だった。

―10年前の世界シンクタンク・フォーラムを覚えていますか?

「よく覚えている。ブルッキングス研究所のようなものをつくろうとしていた。アーバン・インスティテュートの仕事だった」

―あなたはそのとき、メッセージを下さいました。

「私は今も、日本にはその意図に沿うシンクタンクはないと理解している。そして今も同じメッセージを繰り返す。独立的シンクタンクをつくれという日本へのメッセージはまったく変わらない」

―現在、あなたの最大の関心は何ですか。

「核拡散防止だ。近々出る『フォーリン・ポリシー』の私の記事を読んでほしい。日本を名指したものではなくアメリカの政府が何をすべきかを論じたものだ。私は北朝鮮の核武装化が日本に波及することを非常に恐れている」

「フォーリン・ポリシー」はブルッキングス研究所と並ぶシンクタンクの老舗、カーネギー・エンダウメント国際平和研究所が発行するジャーナルで、「フォーリン・アフェアーズ」と並ぶ国際政治と平和研究の国際誌である。マクナマラ氏は昨年、アカデミー賞を受賞した「フォッグ・オブ・ウォー」の上映に寄せてベトナム戦争の過ちを自ら語りメディアにも多く出ていたが、今は論文を「フォーリン・ポリシー」に受け入れられたことに誇りを持っているようだった。

科学と権力の橋渡し

ワシントンで米国の政治を観察する多くの日本人はシンクタンクの存在、ことに政権の中枢に任用される人々がシンクタンクから輩出されることに目を奪われる。また、外交や軍事安全保障に関わる政策にシンクタンクの所長や研究員たちがあらゆる機会をとらえて関わろうとする行動に圧倒される。シンクタンクとは何か、なぜそれが米国で繁栄するのか、日本にないのはなぜか、という問いかけはここ20年、繰り返されてきた。その回答として、NPO制度など法的な整備がないこと、資金や人材がないことなどが指摘された。いずれもその通りだが、一言で言えば政策研究の需要がなかったのである。

欧米のシンクタンクの国際比較研究は、1990年代後半から大きく発展した。しかし、シンクタンクの定義は定まったものではない。国連開発計画(UNDP)は「シンクタンクは定常的に研究を行い、かつ公共政策に関わるあらゆる事項についての提言に従事している組織である。それら組織は近代の民主社会のなかで知識と権力の間の『橋』である」と定義している。シンクタンクの国際比較の先駆的な研究者である米国のダイアン・ストーンは、?シンクタンクは「橋」である?シンクタンクは公共の関心に奉仕する?シンクタンクは考える、という三つの仮説で分析できるとしている。

欧米、特に英国のシンクタンクは科学(真理の探究)と権力との間の溝、科学者と政治家、知識学問と現実の社会経済・人間行動との溝、科学と国家統治と市民の落差を埋めることを目的とし、それらの間に橋を渡そうとしているのであり、その橋は「政策研究」にあるのだ。民主的国家統治において合意形成のためには、できる限り普遍性のある言語を持つこと、そして政策や公共財の形成に科学的、合理的な思考が不可欠であるという認識が政策研究を行う欧米のシンクタンクを繁栄させた根本にある。

政策が産業に

米国のここ30年余の統治の特徴は、政策の科学化、予算の民主化、政府のアカウンタビリティー(結果責任)の追求のプロセスをたどってきたことにある。

政策の科学化の契機は、膨大な国防軍事費をコントロールするため60年代に科学的、組織的な思考が導入されたことだ。当時すでにランド・コーポレーションなどで軍事研究の流れから企画計画予算編成方式(PPBS)など事業プログラムの費用対便益について詳細な分析が行われていたが、経済学的、数学的、統計的技術に沿った政策分析の枠組みはケネディ政権時代にマクナマラ氏によって国防総省に持ち込まれた。これがジョンソン政権に受け継がれ大量の社会科学者が政府に入り、社会経済政策においても科学的、合理的思考が促進された。

70年代のきわめて重要な統治の展開は、予算の民主化にある。予算は国の経済や社会の優先性に影響を与え国家政策目標を達成するための重要なメカニズムであり政策手段である。国家統治能力は予算編成能力であり、予算をイデオロギーと政治家や行政官僚の取引の道具としないためには、予算のあり方を根本から改革する必要があった。予算を国民すべてが理解し検証評価や議論ができるアカウンタビリティーを持つものとしたこと、すなわち予算の民主化がなされた。

政策の科学化、予算の民主化が政策研究の需要を生み出した。政府の内外で政策、評価、分析の成果が供給され、取引されることになった。公共財である政策の形成が民間でなされることとなった。70年から80年代は政策評価を中心に資金が付き、政府は大規模な政策プロジェクトを大量に外注した。このため政策研究機関やシンクタンク、公共政策に関わる人材を養成する高等教育機関、大学院などが大量に出現した。政策産業が確実に興されたのである。

同時に、政策に関与する市民が増大した。政策と市民をつなぐアドボカシーとNPOセクター、ジャーナリズムの力やシンクタンクの努力があいまって、米国の市民社会は政策を人々の、人々による、人々のためのものとしてきた。

強力な人材プール

この政策産業の花形がシンクタンクである。近年その長はますますスポットライトを浴びるようになった。シンクタンクの存在が大きくなり、政策産業が確固とした市場を形成し公共財の生産競争がなされることでシンクタンクの長はその力量が問われるからである。多くは最高学位を修め、教育に関わり、政府内の高官としての経験や、民間企業のCEO(最高経営責任者)やジャーナリズムでの経験を持つ。強力なシンクタンクは大学にいつでも戻れる学者としてトップを行く人間を抱えていることが必須であり、長はなおさらだ。彼らは、専門領域を持つ政策アナリストであり、その分野で最先端の存在であることが要求される。さらに議会委員会や公聴会での証言、主要新聞への寄稿、テレビやラジオなどメディアのインタビューなどを日常的にこなす。強力な理事を獲得し財政管理ことに資金を集めることが重要な責務である。

いずれのシンクタンクでもシニア・リサーチャーは、ほとんどが博士号を取得し、大統領府か立法府の公務や政権に任命されて政府高官となった経験を持ち、教職を兼任するか教職に就いていた経歴があり、いくつかのシンクタンクを回ってキャリアを積んでいる。近年は国際機関での経歴や国外、ことに途上国や東欧など移行国の市場化と民主化に関わる研究者が増えている。

シンクタンクの研究課題は多様だが、最近は国土安全と人権、危機管理、中近東地域研究など9・11事件以降の情勢を反映するものが多い。顕著な動きは、福祉制度改革の大幅な評価や貧困、ガバナンス、高齢化からエイズまで複合多領域を含み、かつグローバルな課題や税制、年金などで複数の著名なシンクタンクが合同してプロジェクトをつくり、人材交流を図り有効利用しつつ困難な政策課題に挑むようになっていることである。これは成熟したシンクタンクが強力な人材をプールし、他と組んでもそれぞれの独立性を確保できる自信を示すものだ。政策は党派や既存の学問領域や限られたセクターを超えて議論されるものになっている。

政府内の一大工場

シンクタンクのトップの人材が過去に多様な経歴を持っていることは、政策産業に多くの雇用があり職業選択の幅があることを意味する。政策産業に従事したいと考える人は、大学卒業後にNPOやシンクタンクのアシスタント、政治家のスタッフやインターンとなり、その後大学院で専門を加え、それから政府機関の政策分析評価などに従事し、またシンクタンクで働く。そこからさらに政治任命を受けて政府に入り、またシンクタンクないしは学界に戻る。大学、政府、シンクタンク間の流動は若いころから始まるのである。

政策産業の興隆に見落とせないのは、立法府内の政策機関である。その中で最大の政策アナリストの集合体はGAO(会計検査院)である。GAOは昨年、ゼネラル・アカウンティング・オフィスからガバーンメント・アカウンタビリティー・オフィスと改称した。これは政府のアカウンタビリティーに関わる政策評価分析がこの機関の中心であることを明瞭にしたものである。職員は3千人を超えるが、主要任務の遂行にあたるのは政策アナリストである。連邦政府のあらゆる活動と事業プログラムの業績を評価する。

アナリストは高度な分析手段を駆使し、結果をまとめ、議会スタッフ、議員にまで報告する。アナリストは、任務遂行のために共同の取り組みをし、オープンかつ率直公正に議論し、機会均等の原則が適切になされているかを確かめる。公募されるキャリア職員の7割は経済、ビジネス、アカウンティング、公共政策、法律、公共行政、情報システム、コンピューター科学、その他の専門において修士、博士号を持つ。医療政策や自然資源のアナリスト、各種エコノミスト、契約や情報などの専門家、財務会計者、弁護士など多様な分野をカバーする政策産業の政府内大工業である。政府活動のすべてを知らされた賢い選挙民の存在が民主政府を成立させる基盤である。

90年代には大衆迎合的なシンクタンクも多く登場した。科学性に依拠し政策を分析し研究することを独立性の機軸とするシンクタンクと政策アナリストが政策議論の中心に残り、影響を与えていかれるかが、今後の米国の民主統治にとって重要な鍵である。

シンクタンクが考えるべきこと

・ポスト冷戦社会、ポスト・イデオロギーの現代は、政策研究機関に有り余る仕事がある。この世界の変化のために、シンクタンクの重要性はかつてないほどに高まっている。これまでより拡大された枠組みの中で、多くの問題が多くの関心を喚起して分析される必要がある。こういった分析は、臨時の専門家委員会による一つ一つのプロジェクトごとのものではできないと思う。我々に必要なのは、核となる専門家グループで、このグループは、この種の集中的な研究に取り組む際に必要となる外部の専門的意見を引き込めるようなものでなければならない。ワシントンD.C.にはすでに、このようなグループがいくつも存在する。

・日本は今日、政府と財界に対して客観的な分析、判断、助言を施せる独立のシンクタンクを持たない唯一の大国である。独立のシンクタンクがあれば、日本の政府やひとびとにとってよいことのみならず、世界にも変化をもたらすことが出来る日本の持つ膨大な機会についても、情報を与えることができる。

・日本は世界の安全保障、グローバルな経済、そして環境問題についても、どのような役割を担うのかを、決定しなければならない。日本はまた、これらの役割がそれぞれに作用しあって、そして日本が他の大国、とくにアメリカとヨーロッパといかに関わっていくのかを決めなければならない。

―アーバン・インスティテュート編、上野真城子監訳『政策形成と日本型シンクタンク』(東洋経済新報社刊)から

アメリカの政策産業と市場

  • 政府機関
  • 連邦政府
  • 行政府
  • OMB(行政予算管理局)
  • 省庁
  • 立法府
  • 委員会
  • CRS(議会調査局)
  • GAO(会計検査院)
  • CBO(議会予算局)
  • 州政府・地方自治体
  • 非政府機関
  • 独立的シンクタンク
  • 大学研究機関
  • 営利研究組織
  • 業界団体
  • 顧客とスポンサー
  • 政府
  • 財団
  • 企業
  • 視聴者と利用者
  • 政策立案者
  • 政治家
  • メディア/ジャーナリスト
  • 市民
  • 学者・学生

シンクタンクの長の経歴

・カーネギー・エンダウメント国際平和研究所:
ジェシカ・マシュー
カリフォルニア工科大学分子生物学博士、外交評議会、ワシントン・ポスト紙編集委員、ホワイトハウス国家安全保障会議世界問題局長、米国科学アカデミー米国科学振興協会、議会技術評価局、元世界資源研究所副所長

・ブルッキングス研究所:
ストローブ・タルボット
イェール大学卒、オックスフォード大学文学博士、タイム記者、国務省特別顧問、「フォーリン・アフェアーズ」海外特派員、元イェールグローバリゼーション研究センター所長、イェール大学理事、外交評議会、米国ロードスカラー協会、アスペン戦略グループなど

・ランド・コーポレーション:
ジェームス・トンプソン
パーデュー大学物理学博士、ウィスコンシン大学で核物理学研究、科学名誉博士、法学名誉博士、外交評議会、IISS、ホワイトハウス、国家安全保障カウンシルスタッフ、国防長官室アナリスト、国家安全保障、空軍研究などに携わる

・アーバン・インスティテュート:
ロバート・ライシャワー
ハーバード大学卒、コロンビア大学経済学博士、教職を経てブルッキングス研究所、アーバン・インスティテュート副所長、2政権において高官、議会予算局局長、ハーバード大学など高等教育機関の理事

・センター・フォー・グローバル・ディベロップメント:
ナンシー・バードセル
ジョンズ・ホプキンス大学修士、イェール大学Ph.D.、カーネギー・エンダウメント国際平和研究所、米州開発銀行副総裁、世界銀行政策研究局長など

 

うえの まきこ 1944年、東京都生まれ。日本女子大学卒、東京大学大学院修了、工学博士、1級建築士。86?2003年アーバン・インスティテュート研究員。大阪大学大学院教授を経て現職。共訳書に『政策評価入門』東洋経済新報社など。米国に22年在住しワシントンのWJWN主宰。

上野真城子 関西学院大学教授
2005年05月
Ronza 5月号

 

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更新日: 2011/01/30 -04:20 PM