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海を遮る:復興5年目の解答


防潮堤は何のために 熊谷雅裕

防潮堤は何の為に、誰の為に作るのか?

現在、いつ誰が決めたのか分からないうちに次々と防潮堤の高さが発表されています。我々住民に聞くでもなく、決まった経緯も理由も知らせずに、計画だけが進んでいます。大島の西側で7m、東側で12mもの防潮堤を作るとのことですが、多くの人に聞いても「防潮堤なんかいらねえよ」との声しか有りません。
お役所は「生命財産を守る為」と錦の御旗を掲げますが、昨年の震災でそれに頼って亡くなった方がたくさんいます。それによって被害が拡大したところもあります。
高台に住めば、高台に逃げれば命は守れます。財産といいますが、自然と云うかけがえのない環境は財産ではないのでしょうか。
昨年の震災時に一番安全で安心に暮らしたのは宮城刑務所の人達だったそうです。大島を防潮堤という名の塀で取り囲むことは、大島を刑務所にすることです。お役所の言っていることは「あなた達の生命財産を守ってあげるから監獄の中で暮らしなさい」と同義であって、自然の中で自由に暮らす権利を奪うものです。いくら安全安心でも刑務所で暮らそうとは思いません。
五十年前の大島には六千人弱の人口がありました。今は半分の三千人です。このまま推移すると五十年後には人が居なくなります。五十年後百年後の津波に備えた防潮堤は、いったいなんの役に立つのですか。それよりも五十年前の風光明媚な大島を、自然にあふれ豊かな海の大島を、取り戻すような計画を立てて下さい。
今、大島を気仙沼を出て行く人がたくさんいます。今は五十年後百年後の津波に備えることより、五年後十年後に一人一人がより豊かに楽しく暮らせる計画を立てるべきです。防潮堤を作る費用で若い人が戻ってこられる生活の場を作って下さい。子供たちが伸び伸びと遊べる自然環境を整備することで、新しい住人が来るかも知れません。そのことに知恵とお金を使うべきです。
先日、舞根での防潮堤は作らないとのニュースがありました。この際気仙沼市は他の市町村と違って「防潮堤のない自然あふれる市」を目指しませんか。百年後に残すのはコンクリートのかたまりではなく、美しい自然でしょう。市民憲章の一に「自然を愛し、海と緑のうつくしいまちをつくります」とあります。防潮堤は市民憲章に反します。「自然を壊し、海と緑のない汚いまちをつくります」に市民憲章を変えますか。
水上不二の歌碑が海を見渡せる大島神社の傍に建っています。

海はいのちのみなもと
波はいのちのかがやき
大島よ
永遠にみどりの
真珠であれ

どうか、もうこれ以上「みどりの真珠」を壊さないで下さい。


大島中学校仮設
   熊谷雅裕
2012年6月7日 作成

防潮堤の説明会(三陸新報)

防潮堤の説明会

 今、市内各地で防潮堤の説明会が行われています。私は大島在住なのですが先日、内湾地区の説明会を聞きに行きました。大勢の人が来て、議論百出するかとの思いで見に行ったのですが、5,6名の方が発言しただけで、何事もなく予定調和のごとくあっさりと終了しました。
内湾は江戸の昔から漁港として風待ちの港として栄えてきた歴史あるところです。大島と云う自然の防波堤に守られて、明治昭和の津波でもさほど被害が無かったはずです。
今、内湾に防潮堤は要らないでしょう。浮上式の防潮堤を作るにしても、50年後の科学技術が発達してからで十分間に合うと思います。今はやることは地盤沈下した所を一時も早くかさ上げすることではないのですか。魚町南町全体を数m高くして船の着くところを親水区域にして、防潮堤を作らずに景観を損ねない様に街作りが出来ませんか。
子供の頃、大島から船で街(まち)行くことは大きな出来事で、船が内湾に入ると角星や男山の建物が目に入り、気仙沼の街に来たとワクワクしたものです。
気仙沼の魚町と南町は大島の子供からすると大都会でした。映画館、嫌いな歯医者、食堂、本屋、なんでも有りました。大堀銀座、マンボ通りなどで高校生の頃はよく遊びました。
この思いは大島だけではなく唐桑の多くの人にも、山間部の人達にも共通の思いではないでしょうか。
このほど、角星や男山の建物が保存されると聞きます。それらの建物は内湾の風景と一体のもので、それだけを残してなんの意味があるのですか。海から遮断され防潮堤と云う壁の傍に建て直されても、無残な遺物としか写りません。もう要らないと思います。
そんな遺物を言い訳のように残し、6mもの壁を内湾に張り巡らした所に誰が住むのですか。海が見えず、船の停泊、発着の風景が見えない所がどうして港と言えるのですか。
魚町南町の人達には「気仙沼を作ったのは俺たちだ」と云う誇りがあったはずです。とくに魚町の人達は、その思いを今も強く持っているはずです。ですが、防潮堤を作ることは内湾の歴史を閉じることであり、自分たちの誇りを捨てる事だと思います。
市長も小野寺代議士も魚町出身でありながら、内湾を破壊し歴史に幕を閉じることに賛同しているのは理解できません。故郷を率先して守る立場の人が、率先して壊す立場で行動するのでは、気仙沼の将来がありません。役人の言いなりで政治家と言えるのですか。市民が快適に住める環境を作るのが二人に与えられた役割であり、責任ではないのですか。
また多くの企業は内湾から始まっています。いま会社が内湾に無く、住むところが陣山館山であっても生まれ育ったところです。旧市内の街の人は内湾に6mもの壁を作られ、海が見えず、内湾の景観が破壊されるのをただ黙って見ているつもりなのですか。
「島の人間は黙ってろ」と言われても、大島浦の浜も7mの壁が計画されています。住人も観光客も壁に覆われた無機質な港を出船入り船する訳です。想像するだけでゾッとします。観光客は二度と来ないでしょう。観光は漁業と並ぶ気仙沼経済の柱です。内湾だけではなく市内全域の海岸を防潮堤で囲うことは自殺行為としか言えません。防潮堤を作ることには絶対反対です。


大島中学校仮設
   熊谷雅裕
2012年07月13日 作成

防潮堤の説明会
熊谷雅裕氏

 

 

防潮堤の説明会(三陸新報)

防潮堤の説明会
29日に大島地区の防潮堤説明会がありました。各担当者が順番に流れるように、さも計画が決定事項の様に説明をされました。ですが、肝心の何時何処で誰がどんな権限と法令を持って決めたのか、そして予算額はいくらで国会決議があったのか等々まったく話に出ませんでした。その点を質問したのですが明解な答えはないのです。
これだけの事業に法的根拠も示さず、予算額も明示せず、住民の意向意見も聞かず、質問を封じ込めるがごとくに、ただ図面と工事予定だけが一方的に説明発表されました。
その様子は住民に説明すると云うより「お役所の縄張り区分発表会」とも云うべきものでした。大島全体の復興計画ではなく、各省庁の出先機関が島を細分化し、さらにひとつの浜を分割し工事予定を決めています。島民の意見要望を聞いて計画を立てるべきなのに、各省庁の利権を守り拡張することが第一で、島民の生活は考えていないようです。
今必要なのは防潮堤ではなく浜の修復と住宅です。被災して一年半に為ろうとしているのに、まったく進んでいません。船を着岸し荷揚げの場所を確保する工事が最初で、防潮堤計画は10年後でもいいでしょう。被災者の高台移転や公営住宅の計画はいまだ白紙状態なのに、なぜ今必要のない防潮堤の計画だけが進んでいるのですか。
防潮堤を作るのは生命と財産を守る為と説明しますが、今回の震災で田老町の例でも分かるようにコンクリートの壁で命も財産も守れません。市長も「守れない」と言っているのに、それが証明されたのに作ることだけが決定しており、これは各省庁の利権の為としか理解できません。
どうして関係のない中央の官僚に我々の生活環境を破壊されなければならないのか、どうして市も県もそれに従うのか、役人と政治家は保身と利権の為にしか働かないのですか。
大島は海が財産です。
大島の多くの人は漁業と観光に生きてきました。漁に出て魚を獲り、磯に出てアワビ、ウニ、海藻を採り、それを生活の糧にして来ました。自然の海と緑と美味しい海の幸を求めて観光客が来ます。
防潮堤は海岸を破壊します。自然の雨水が海に入らないと海藻が育たずウニもアワビもいなくなり、磯が無くなると産卵場所も無くなり魚が棲めません。島民は自然の中で心豊かな暮らしが出来なくなります。
風光明媚なみどりの真珠が壊されて観光客が来なくなれば、旅館民宿は廃業です。  
国、県、市をあげて
防潮堤を作ろうとしていますが、それは島民の生命財産を奪うことです。予算があるなら役人の利権確保の為ではなく、島民の生活向上の為に使って下さい。「立派な防潮堤は出来たけど、住民は仮設住宅で苦しんでいる」と云うことに為らないようにお願いしたい。


大島中学校仮設
   熊谷雅裕
2012年8月9日 作成

防潮堤の説明会
熊谷雅裕氏

 

 

防潮堤の勉強会に参加して

防潮堤の勉強会に参加して

8月より開かれてきた「防潮堤を勉強する会」に4回目を除いて参加させて頂きました。
いろんな意見やお役所の考え方、学識者のお話等々大変勉強に為り、この会を企画運営して頂いた方々に感謝いたします。
先日、市長との意見交換、質問回答が最終回として行われました。勉強会で感じたこと、それでも理解不能なことを三陸新報の20日の記事をもとに述べたいと思います。
市長は「高さは安全度そのものであり、話し合いや多数決で決めるものではない」と言います。しかしL1堤防はL2の津波に破壊され役に立たないと勉強しました。今回の計画高は安全度そのものではありません。また、決めるのは中央で、住民ではないと言います。中央防災会議で決めたことには反対できないといいますが、その会議は昨年の被災直後に官僚が机の上で考え、管直人前首相が決定したものと聞きました。福島原発の被害を増大させ、被災者を塗炭の苦しみに追いやって、なんの責任もおわず平然としている人です。どうしてそんな人の決定に従わなければならないのか理解できません。
また、今回に復興予算19兆円が計上されましたが、ご存じの様に被災地ではなく、全国いろんなところに使われています。つまり被災地の復興にすべて使われるのではなく、各省庁がなんらかのこじつけで復興予算を獲得しているわけです
「省益あって国益なし」という役人体質を表す言葉も勉強しました。ハイエナが群がり獲物を奪い合うがごとく、復興の予算を自分たちの利権の為に奪い合う下劣な行為で、そこには被災した人達の姿はありません。どうしてそのような官僚の省庁の決定に従うのでしょうか。 
 先の戦争時「戦艦大和、武蔵」が建造されましたがこれは大蔵省最大の査定ミスのひとつと云われています。日露戦争の勝因と為った「日本海海戦」の成功に酔いしれ、40年後に時代遅れとなっていた巨艦を建造し、結局ほとんど役に立たず戦闘機に沈められました。今回の巨大防潮堤はそれをなぞるものではないでしょうか。戦後の高度成長期に行った政策を、まったく時代にそぐわず、50年後100年後には人口が半減すると予測されるなか、巨大防潮堤建設は戦闘機の時代に巨大戦艦を作ったごとくに、官僚の権益確保と自己保身でしかなく、住民に不要のものと思います。
 50年後に備えての防潮堤と云いますが、逆に50年前を思えば、テレビがやっと普及しはじめ、電話のない家庭もありました。今はテレビ付の携帯電話を個人がポケットに入れています。国家予算で買うしかなかった巨大なコンピュータが、今は手のひらに乗り個人が持ち運べて、さらには世界と通信できます。
 当時のSFの世界が今現実に為っているのに、おこがましくも現代人が未来をコンクリートで固めようとしています。
今回、50年後には劣化し強度が落ちるコンクリートより、自然と調和し50年後には強度が増す、フォレストベンチ工法があると勉強しました。また、コンクリートの護岸のかわりに岩礁を造ることで高波を抑え、しかもアワビなど海産物を増やし、漁獲高を上げた実例も知りました。しかし造ろうとしているのは前例通りのコンクリート、それも海とのつながりを遮断する高い高い壁です。
50年後には津波対策が進歩し波高や到達時間などは瞬時に把握し避難できると思います。さらには津波を防ぐ技術が開発されているかも知れません。それを震災時にたまたま担当した官僚が前例に従い、訴訟を起こされないよう、前より高くし安全をうたえばよいと決めてしまう。それに政治家も地方行政も疑問も抱かずただ従う。おかしな話です。
市も県も今すぐ造らなければ今後造れないと言いますが、出来てしまったら壊せないでしょう。50年後に禍根を残すことになったら誰が責任を取るのですか。いま現在の政治家や官僚は造ることで利益を得るでしょうが、誰も責任を取らないことは明確です。しかし今ここで暮らす人達はどうでしょうか。ここで暮らそうとしている子供や孫はどうなるのでしょう。海を見られず遊べず塀の中で暮して行かなくては為りません。
市長への質問の答えの中で「防潮堤はライフジャケット」と比喩しました。「今は色も形も素材も色々ある」と言いましたが、今回計画されている防潮堤は「鎖と鎧」です。安全には必要だと言うのですが、それは陸上からの視点で、工場は守れるのかもしれません。しかし海からみれば、生態系を壊し、海産物が取れなくなり、景観を壊し、観光が駄目になり、自然を壊し、ひとが住まなくなります。コンクリートの防潮堤は自由を奪う鎖であり鎧です。
北海道の奥尻島は津波の後、コンクリートで高い防潮堤を造り高台移転したと聞きました。
最盛期には島民人口は8500人で今は3000人だそうです。毎年5%前後の減少が続いているとのことです。
 今回の復興計画が根本的におかしいのは、防潮堤の高さが決まらなければ復旧復興の工事をさせないという意向です。最初にすることは生活基盤を再構築することなのに、なぜそれを後回しにして防潮堤を造ることにまい進するのか理解できません。
水没する土地をそのままに、ひとに住むなと一方的に規制しておいて、そこを買い上げもせず、代替地を用意する訳でもなく、高台移転も被災者用住宅の進展も遅々として進まず、ただ防潮堤の計画だけが着々と進んでいます。
「海と生きる」と標語に掲げながら、一年7ヶ月もの間、なぜ漁港を修復しないのか。
財産は海の中にあるのに、財産を守ると言いながらなぜ海を破壊しようとするのか。
そして堤防を建設する理由として「守るのは財産と命で、財産には社会資本と産業設備も含まれる」と回答しています。それはその通りでしょう。しかし社会資本も産業施設も造らず、先に堤防を造るとは順番が逆です。津波のシミュレーションが正しいとすれば、次に来るL1津波は数十年後から百数十年後です。まずかさ上げをして社会資本と産業設備を造ってからでも遅くはないでしょう。
「L一堤防を造らなければ気仙沼は見捨てられ、次の津波が町を滅ぼす」とありますが、堤防造りをしている間に生活できない人はいなくなり、次の津波が来る前に滅びてしまうのではないのですか。規制されて工場が造れず、気仙沼から出て行く企業が現実にあるのですよ。
市も県も国の意向に沿うだけで、住民の生活を考えていません。公共工事は住民の生活向上の為に行われるとも聞きましたが、この一年7カ月行政はなにをしたのですか。
 お役所は一度決めると変えようとしません。八ツ場ダムは60年前に計画され、事業費その他で総額8800億をかけていまだ完成しておらず、集落は廃墟と化して、その間に天下りしたお役人は数百人に為るそうです。
 今三陸海岸に計画されている防潮堤は八ツ場ダムの比ではありません。自然破壊と住民離散を、国を挙げて推進するという愚行計画です。 
 日本は1000兆円もの借金を抱えていながら、さらに借金を増やす計画を立て、それを遂行しようとしています。国民が望むものならともかく、住民の多くが疑問を持ち、反対しているものに多額の税金が使われようとしています。
 どうかあの無責任な管直人政権が決めた計画を見直し、官庁官僚の利権の為ではなく、住民の明るい未来の為の復興計画に作り直していただきたい。


大島中学校仮設
   熊谷雅裕
2012年10月5日 作成

大島島民アンケート

大島島民アンケート

 大島の復興に向けた島民アンケート調査結果の報告会が2月10日に行われました。15歳以上の2774人に配布し1749人の回答で回答率は 63%でした。
アンケートの中から防潮堤計画と防災減災対策を中心に島民の考えを報告し、防災に関する疑問と意見を述べたいと思います。
防潮堤計画に対しクロス集計の結果、現行計画案支持9%、見直しを希望64%、わからない27%、と回答されました。つまり現行計画案に9割の人が賛成をしていないのです。
 どの防災減災対策を優先すべきか、11項目から3項目を選択する問いでは、避難路22%、物資食料備蓄19%、緊急放送システム17%の順で回答があり、防潮堤は11%でした。
 集計欄に『「警報を聞いて、自分で逃げて、その後しばらくは自分で生き延びる」と覚悟している人が多いと解釈出来る』とコメントされています。
 この2項目の結果からは、島民にとっていま必要なのは防潮堤ではなく、震災時の正確な情報であり、物資食料確保なのです、
 震災から2年もたとうとしているのに、生活基盤である漁港修復や災害者用公営住宅の建設はほとんど進まず、生命を守る避難路はまったく示されておりません。なぜそれらを先に造らず、防潮堤を優先するのですか。
 大島の財産の多くは海にあります。どんな高い防潮堤を造っても、海の中の海産物、海の上の筏や船は守れません。
 アンケート項目の何を残したいかでは「亀山」「小田の浜」「一八鳴浜」が順に多く、イメージする言葉として「亀山からの景色」「海の幸」「故郷」「緑の真珠」でいずれも10%以上、今後どんな島であって欲しいかの項目では「海や自然環境を残した島」「高齢者が安心して生活滞在できる福祉の島」が20%以上でした。そして現在今後もっとも心配なこととして「人口流失、少子高齢化」を合計30%以上の方が挙げています。
 防潮堤を造れば残したいものイメージするものを守れますか。人口流出、少子高齢化を防げますか。防潮堤を造れば逆に、水産業も観光業も衰退の一途をたどるのは目に見えており、生活の場がなくなれば、人口流出と少子高齢化が増々加速すると思います。
防潮堤計画は知らないうちに着々と進み、建設用地買収の直前まできています。その中には震災をまぬがれた家を壊し、海を20m先まで埋めてまで造ろうと計画されています。
つまり、造ることのみが目的で「住民の生活を壊し、豊かな海を壊し、きれいな自然景観を壊しても構わない」と言っているようなものです。県や市はアンケートに示された住民の意向を汲み取り、計画を見直すべきです。それに防潮堤建設には住民の同意が必要なはずです。
防潮堤建設にかける数十億数百億の予算があれば、若い人が働けて定住する場所や、海と自然を活かし漁業と観光を復活させ、さらに発展させることが出来ると思います。30年度には橋が開通する予定です。その橋は出て行く人の為ではなく、定住する若い人が入って来る為の橋でなければなりません。
しかしこのまま防潮堤だけが造られ、大島が発展する計画が立てられなければ、若い人や子供のいない、独居老人の島になります。島民が一番心配している「人口流出、少子高齢化」を防ぐために、行政も島民も一体となり、考え行動して行くべきと思います。


大島中学校仮設
   熊谷雅裕
2013年02月20日 作成

 

大島になにを残すのか

大島になにを残すのか

 先日の投稿に「なぜ奥尻の話をしないのか?」が掲載されました。本当にその通りだと思いました。大島を「夢の島、宝の島」と言っていただき、島民のひとりとして感動感謝して読ませていただきました。ありがとうございます。
 その大島ですが4日に行われた公民館祭りで「輝け!海とみどりの大島宣言」が採択されました。
 詳細は6日の三陸新報に掲載されていますので省きますが、長峰教授をはじめ多くの方の協力をいただき、宣言にいたりました。
 その宣言の第一が「大島の海と緑を守っていきます」です。
 「大島には、詩人水上不二がかつて『みどりの真珠』と喩えたように美しい海と緑に囲まれた自然環境があります。震災では自然からきびしい試練を与えられました。でも、そのことで自然を恨むのではなく、傷ついた海と緑の自然環境を再生し、再び美しい大島を取り戻します。再生した大島を守っていくことを私たちの使命とします。私たちは大島の自然再生から復興へ向けて一歩ずつ歩み出すことをここに宣言します」と島民の前で中学生が読み上げました。
 自然環境を再生する為になにが必要か。
コンクリートで造られる防潮堤は自然環境を破壊することはあっても、再生することは出来ません。奥尻島だけではなく、全国津々浦々で自然破壊による漁業資源減少が見られます。それにもかかわらず、海岸線をコンクリートで覆ってしまう計画が当然のように進んでいます。
 以前行われた島民アンケートで、防潮堤の建設に対する結果は、計画通りに賛成が一割、反対もしくは見直しが六割、分からないが三割でした。つまり九割の島民が現行案に賛成していません。
 過日、新聞で市内各浜の賛否一覧が出ていましたが、多くの浜で「建設合意」となっていました。しかし合意とされている浜の多くに「俺は反対だ」「聞いていない」「いつ決まったんだ」という声が多いのです。市や県が一方的に説明し、それに対し質問や意見がないと、合意したとされるようですが、出席している多くは、公的な場所で発言することに為れていない年寄りで、声が出せないのです。仕事を抱える現役世代は出席出来ず、未来を託す子供たちは参加していません。これでどうして賛成と言えるのか不思議です。
 気仙沼は三陸復興国立公園の中にあり、三陸ジオパークに認定された中にあります。
 コンクリートの防潮堤を造ることが「復興国立公園」の意味なのでしょうか。コンクリートの壁のむこうにジオパークの地層がありますと観光客に説明するのでしょうか。
 県知事は巨大防潮堤を造ることに、ものすごい使命感をお持ちのようです。なにしろ県の進める防潮堤整備計画には、浦戸諸島(松嶋)の無人島4島も含まれているのです。
 大島も全島で防潮堤が計画されています。さらに大島架橋からの道路計画があります。
その道路は海沿いに、浦の浜の高台十字路に来るのですが、なんと9mの高さで建設予定です。そして防潮堤は7mの高さで計画されており、それぞれの部署が一所懸命にそれぞれ造る計画のようです。なにしろ道路と防潮堤の間はどうなるのか、浜への出入りはどうするのかを聞いても答えはなく、遺跡や工事の都合が優先で、今生活している住民の意向は二の次です。
 震災後、「花は咲く」という歌がつくられ、歌詞に「私はなにを残しただろう」「いつか恋する君の為に」とうたわれています。
 「輝け!海とみどりの大島宣言」を読み上げた中学生に、いつか恋する未来の子供たちに、なにを残したら良いのでしょう
 唐桑から小泉まで、コンクリートの巨大防潮堤で囲われた気仙沼を残すのか、豊かな海に囲まれた風光明媚な気仙沼を残すのか、いま大きな分岐点です。
 私は防潮堤のない、豊かな海にかこまれた
「みどりの真珠」を残したいと思っています。


大島中学校仮設
   熊谷雅裕
2013年11月16日 作成
 三陸新報掲載

 

なにがなんでも防潮堤建設

なにがなんでも防潮堤建設、なにがなんでもたて割り行政

 先日2日、3日と大島の田中浜と小田の浜の防潮堤について意見交換会が開かれました。多くの人がそれぞれ、いろんな方向から意見を述べて時間が足りない程でした。
 今回は「治山施設災害復旧事業」として「県農林振興部」の方々が主に説明し、市からも何名かが出席していました。
 説明は知事の言う「生命財産を守る」という命題に従って、ただ机上の計算で計画を立て、それを提示しただけのものでした。
 震災直後の混乱期に立てられた計画を、一切見直すことなく、とにかく知事の意向に従って、なにがなんでも実行するという、お役人としての正しい姿がありました。
しかしそこには大島の歴史も景観も住民の生活も一切考慮されていません。
大島の防潮堤は全島で計画されていますが、浜ごとに担当部署が違い、大島全体を考えることなく、その担当部署がそれぞれに計画実行しようとしています。
小田の浜を例にすれば、「県農林振興部」「市水産課」「県地方振興事務所」が関係しています。陸からの景観は同じなのに、見えない縄張りがあり、それをお互い尊重しあって他のことを聞いても答えがありません。
震災時、小田の浜周辺の人は沖から来る津波を見て、高台に避難して皆さん無事でした。海が見えたから避難できたのです。
だからまず避難道を、それも夜にでも避難できるように街路灯を設置して、と提案しても一切答えません。避難道は「農林振興部」にとって関係ないからでしょう。
白砂青松の景観を取り戻す為に、砂浜の後ろに松を植えて欲しいとの意見には、松は防潮堤の後ろにしか植栽できない、のひと言です。県の計画通りに造らないと予算は出ないそうで、住民の希望は端から否定されます。いったい誰の為の復興予算なのでしょうか。
田中浜の計画でも同様で「農林振興部」と「県土木事務所」があり、さらに「環境省」がからみます。
環境省はすでに「あずまや」と避難道を完成させ、さらにいま、緑地を造っています。ところが今回の説明では、それらを壊して防潮堤を造るのだそうです。体験学習のベースになる建物と、島に唯一造られた非難道は、単に環境省の予算消化の為のもので、島民や観光客の為のものではないようです。
そしてこの二つの浜でそれぞれ30億、計60億の予算が計上されています。「田中浜の災害危険区域の一軒の家を守るために防潮堤を造る」と県の職員は言います。ところが流された200軒の家に配られた災害義援金は107万です。
一軒の助かった家に30億もの税金を使うのなら、流された家の人に3千万円支給すれば100軒の家が建ちます。大島では200軒ほど流されました。二つの浜の予算を使えば再建できます。
また、流された船やイカダをそのお金で作れば、漁業をやめずにまた続けて、離島せずに済む人がいたと思います。
 思えば震災後、民主党政権で復興予算19兆円が計上されました。どこへ消えたのでしょう。我々被災者のところには仮設住宅だけで、あとは全国からの義援金、支援物資、ボランティア、台湾からの義援金などです。  
北海道から沖縄まで、各省庁の分捕り合戦で、被災者にはほとんど届いていません。19兆あったら5千万ずつ配っても38万人の被災者が助かります。
 気仙沼市では3年も経とうとしているのに、一軒も災害公営住宅は出来ていません。仮設で亡くなる年寄りが何人も出ています。
避難路、避難場所の計画すら示されません。
進んでいるのは巨大防潮堤だけです。
 今回の巨大防潮堤は、まるで「戦艦大和」です。飛行機の時代なのに巨艦建造にまい進した、戦争末期の軍務官僚そのものです。
 三陸一帯に巨大防潮堤が出来たら、三陸沿岸の観光と漁業は壊滅します。「省益あって国益なし」の官僚行政は、もう終わりにして欲しいと思います。


大島中学校仮設
  熊谷雅裕
2013年12月3日 作成

 

防潮堤のおかしな話

防潮堤のおかしな話
海はだれのものか

 先日、市の都市計画マスタープランについて地域懇談会があり、大島地区の集会に参加しました。
 課題①定住を促す生活産業基盤の整備②大島架橋を契機とする観光地としての魅力向上③沿岸部における防災性の向上④豊かな自然環境の保全と活用の4項目の説明がありました。
 しかし、具体策を聞くと納得する答えはありません。そして地図上では大島の西側が防潮堤を示す赤い線で亀山から龍舞崎近くまで引かれています。対岸も鹿折から岩井崎まで赤い線が続いています。
 自然の緩衝帯を壊し、人口の巨大水路を造ることが、防災性の向上になるのでしょうか。そして、豊かな自然環境の保全と活用や観光地のとしての魅力向上になるのでしょうか。
 そして、さらにおかしな話があります。大島の要害中沢地区は
防潮堤の工事発注が終わっているとのことでした。
 要害中沢地区の防潮堤は船揚場を中心にして左右に計画され、高さが左側4.5m、右側7mです。そして海に12mと21m張り出します。
 ここはウニ、アワビ、海藻、魚の成育場所です。開口時は要害中沢地区の人たちだけではなく、大島で漁業権を持っている人は誰でも獲りにいける場所です。そこを破壊して造るわけです。これは全島民の問題です。
 そこで県の職員に漁協から承認を得て補償額も決まったのかと聞くと「それはこれからだ」と言います。
 防潮堤を造るにしても、漁協との話し合いや漁業権の問題を解決してから、工事発注するのが筋だと思うのです。大島の漁協役員に「話がきていますか」と聞くと」まったくない、それは本当か」と逆に聞かれます。
 県の職員は「住民の合意を得ている」と話します。集まった人数を聞くと10数人との答えです。
 地区住民の合意を得ていると言いますがこの地区だけで数百人が住んでおり、多くの人は知らないと答えます。
 知っていると答えた人でも「近所付き合いがあって、反対と言えないんだよ」「海が見えなくなり、逆に怖いから要らない。だけど私は言えないので代わりに言って下さい」など、建設反対をはっきり言えない人がたくさんいます。
 そして県の職員は
「地権者の了解を得ている」と言います。「海は海沿いの地権者のものですか」と聞くと「違います」と答えます。ではどうして工事発注できるのか、聞いても答えがありません。つまり県は、地権者と数人の賛同者だけで防潮堤建設を決定し、進めているわけです。
 漁業権だけではなく、自然環境や景観を考えると全島民の問題で、一地区のそれも地権者の問題ではないと思います。
 大島だけではなく、唐桑から小泉まで同じ手法で防潮堤建設を決定し、進めているとしたら、将来に禍根を残します。もう一度、県も市も住民の意見要望を聞くべきだと思います。
出来てしまえば
壊せません。さらには維持管理費が重くのしかかり、子孫に過大な負債を負わせることになります。
 防潮堤を造らないと復興が遅れるとの意見があります。しかし海を壊せば、課題①の定住を促す生活産業基盤がなくなり、奥尻島のように人口流出を加速させます。
 また「他の地区の人が口を出すな」とか
「他の地区のことは言えない」と言う人がいます。「海は公のもの」で、その地区や地権者のものではありません。海は国民の共有財産です。
 小泉では反対意見を封じ込めている様子がNHKで放映されていました。それで良いのでしょうか。
 防潮堤建設が地権者の了解や、一部の賛同者だけを集めて決定されているとしたらおかしな話です。
「海と生きる」気仙沼市です。海からの視点で、計画を見直すべきと思います。


大島中学校仮設
   熊谷雅裕
2014年1月21日 作成
 三陸新報掲載

気仙沼防潮堤市政報告

 

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更新日: 2016/01/19 -05:32 PM